(1)某都銀ATMが空になった
某都銀に急迫の事態が発生した――。
ペイオフ解禁まで1か月あまりに迫った2月中旬、ある都銀の都心近郊の支店で、預金引き出しが集中した一部のATM(現金自動預払機)が空っぽになってしまうという前代未聞の出来事が起きていることが金融庁に報告されたのである。
同行では預金引き出しが集中してATMが停止する事態が昨年末から断続的に起きていたという。そのつど行員が「故障した」と修理を装って現金をこっそり補充して発覚を逃れてきたといわれている。
報告を受けた金融庁は震え上がった。
同行にはすぐに対応策を取るように指示を出し、預金の出入りについて細かくチェックすることになった。それを受け、同行ではATMが空になった場合にすぐに必要資金を補充できるよう、スクランブル態勢を敷いている。
「大手銀行でATMが空になるという事態は、これまで破綻した旧北海道拓殖銀行の例しか聞いたことがない。それだけ預金者が引き出しに殺到しているなら、もはや≪ゆるやかな取り付け≫といえる。今のところ預金者から苦情が来るといったことはないが、そうした問題が漏れれば、風評が広がって本当にパニックになりかねない。庁内では、3月になれば規模の小さい地銀や信金・信組で同じような≪ATM危機≫が起きるのではないかと危惧されている。だから、柳沢(伯夫)大臣も小泉(純一郎)総理も、“4月1日には絶対安全な金融機関しか残さない”と繰り返し強調している」(同庁幹部)
そういう安易な“危機隠し”の安全宣言を乱発することが逆に預金者の不安を煽っていることには気づいていない。いくら経営危機にあるといっても、仮にも数十兆円の資金を持つ都銀が預金払い戻しに応じられなくなることなど考えにくい。
本当の問題は、資金枯渇の危機ではなく、政府の信用の危機なのだ。
(2)デフレ対策情報流出の失態
そうした危機が知らされないのは、金融庁が厳しい≪報道管制≫を敷いているからであり、それも尋常ではない。
金融庁は内外の専門家から≪金融危機の元凶≫と批判の集中砲火を浴びているが、驚くなかれ、この役所を取材する日本の大新聞、テレビの担当記者たちは、金融危機のありのままの姿を報道してはいけないことになっている。
取材拒否を意味する≪出入り禁止≫という、検察が意に添わない記事を書いた記者によく使う報復措置であり、それも問題であるが、金融庁が検察のサル真似とは解せない。いう方もひどいが、それを受け入れるメディアも情報伝達を放棄したに等しい。
やはり大新聞、テレビが報じなかったお粗末なひと幕があったのは、小泉首相が「これこそは経済対策の集大成」とばかり胸を反らせていたデフレ対策発表の失敗だ。
2月27日の公表を控え、官邸、財務省、金融庁、経済財政諮問会議など政府の関連部署では2月中旬から会議を繰り返し、考えられるものは何でも盛り込もうと矢継ぎ早に奇策、禁じ手をひねり出していた。その中身はひとまず置くが、政府案の骨格ができあがったのは発表直前の2月25日深夜だったとされる。
翌26日、予算委員会で政府予算案審議が行なわれていた。夕刻、委員会室から出てきた竹中平蔵経済財政相は、部下が恐る恐る手渡した夕刊を見て、珍しく声を荒らげた。
「一体なんでこんな記事が載ってるんですか!」
各紙の1面には、いずれも『政府のデフレ対策判明』の文字が躍っていたからだ。翌日の公表まで極秘扱いだったはずの対策案が、その詳細まで細かく書かれていた。
その舞台裏が情けない。自民党政調幹部が明かす。
「26日の午前中、与党デフレ対策特命委員会の相沢英之委員長ら幹部が官邸を訪れ、党の経済対策を説明した。それに対し、小泉首相からは政府案の説明があり、その際、前夜まとめたばかりのリポートが配られた。本来ならその場限りのものだったが、相沢さんたちが帰る際、官邸スタッフが回収しなかったために、相沢さんは公表しても問題ないものだと勘違いして、記者たちに会談内容を説明する際にリポートもそっくり渡してしまった」
金融庁が、“あれは書け、これは書くな”というのもナニ様のつもりかといいたくなるが、官邸の情報管理の実態がこの程度では、経済対策の底も知れている。竹中氏が激怒したのも、リポート流出の直後に株価が急落したからだったかもしれない。大手証券会社の運用担当幹部は、その内容に呆れている。
「対策はどれも目先の株価や金融不安をどうやってごまかすかという点ばかり意識したもので、不況もデフレも本気で克服しようという決意がまるで感じられなかった。一読して無価値と判断した投資家やディーラーたちが、株も円も国債も、一気に売りに転じた。経済対策どころか、市場混乱の元凶だった」
だからこそ、翌日、小泉首相は政策を正式発表する際、「デフレ対策はこれで終わりではない」と言い訳をしてみせたが、市場はそっぽを向いたままだった。
(3)中小金融機関のペイオフ危機
中小金融機関の≪ペイオフ危機≫がさらに深まっている。規模によって危機の現われ方は違う。
■信組――連続破綻の波紋
金融庁、小泉内閣の「弱小金融機関はつぶせ」という方針が直撃しているのが信用組合だ。昨秋以来、毎週のように全国どこかで経営破綻しているため、預金者の不安は抑えようがなくなっている。
「信組に出資し、融資も受けている組合員の中小企業は比較的冷静に現状を見ているので預金を引き上げるような動きはない。が、一般預金者は今年に入ってどんどん逃げている。そのほとんどは1000万円以下の預金者だから、ペイオフで財産を失うことなどないのに、業界全体のイメージが悪すぎて話を聞いてもらえない。全国的に同じような状況だ」(東日本の大手信組役員)
まさに金融庁による風評被害を受けている。
■信金――年金が逃げた!
信組が各都道府県の域内を営業エリアにしているのに比べ、信用金庫はむしろより小さな地域に集中し、地域密着型の金融を担ってきた。そのことが≪ペイオフ危機≫の直撃を受けることになった。
信用金庫協会幹部でもある大手の首脳が語る。
「地域密着の利点を活かし、信金の個人預金の大きな柱となってきたのは高齢者たちの年金受け取り口座だった。ところが、高齢者は現役世代より資産家が多いため、そうした口座の中には1000万円を超えるものも多くある。預金を1000万円以下に調整する預金者はまだいいが、ペイオフ解禁を機に年金受け取り口座そのものを解約してしまうケースも出ている」
■第2地銀――公金流出
預金が減り続けているのが第2地銀だ。今年に入ってから、すでに全体で3%近い預金が流出している。
各行は、宝くじと組み合わせた定期預金や、定期と普通預金をセットにした総合口座など、さまざまな商品を開発して防戦に必死だが、そうした経営努力に冷や水を浴びせているのが公金の流出だ。
「第2地銀は市町村など地方自治体の指定金融機関になっているケースが多く、公金は大事な大口預金だ。ところが、ペイオフ解禁を前に、多くの自治体では『公金管理委員会』などと称した専門の部署をつくり、運用先をシビアに選別し始めた。資金の半分以上を債券運用に切り替えた県もあり、そうしたニーズに対応して証券会社が自治体に猛烈な営業をかけている。本当は債券や投資信託の方がずっとリスクが高いのに、公金がそちらに流れている。わが行は総預金の10%近くあった公金が3%程度まで減った」(大手役員)
地域の金融機関と自治体の信頼関係さえ崩壊している。
■地銀――税金投入後の危機
中小金融機関の中では預金流出の危機があまり起きていないのが地方銀行だが、協会幹部は楽観していない。
「政府や金融庁は、メガバンクの支援に集中しており、一方で第2地銀以下の金融機関の預金者に不安が広がっていることから、今のところ地銀には追い風が吹いている。しかし、地方の経済危機は東京から3年遅れの状況にあり、これからまさに危機の本番を迎える。大手に税金投入された後、地銀は正念場となる」
――1400兆円といわれる国民の金融資産を預かる金融界に、そんな荒涼たる光景が広がっている。その一方では、≪ペイオフ危機≫の“たなぼた”で預金が集中している大銀行は、「資金はあっても貸す先がない。系列の消費者金融や商工ローンへの融資ばかり増えている」(都銀幹部)という。いまや、そうした会社からの高利のローンが中小企業の命綱になっているという皮肉な現実がある。
武蔵大学経済学部の岡正生教授(金融論)は、悪循環を断ち切るには徹底した情報開示しかない、と主張する。
「預金者が抱える不安をそのまま放置すれば、不安が預金の引き出しにつながり、それがまた他の預金者の不安を増幅させる。金融機関は、まず自ら経営状態について積極的に情報開示し、不良債権など対策が必要な課題には、どのような方法でいつまでに処理するかを堂々と説明すべきです。政府も徹底した情報公開を国民に約束することから始めなければいけない。政府自身が起き得る危機を隠さずに説明し、そうなった場合どのような対策を取るのかを知ってもらう努力をする。そうでなければ、どんな経済政策も効果は望めません」
金融機関さえ助かればいいといういびつな官僚手法は国民に情報を開示しない。それを打ち破るのが構造改革のはずだが、小泉首相にその気がないなら、預金者、国民が立ち上がるしかない。