順調に推移していたドル建て金価格に波乱があった。ドイツの中央銀行であるドイツ連邦銀行ウェルテケ総裁が、インタビューのなかで「先行きの保有金売却の可能性につき言及」と一部報道が伝えたのである。当日のNY金市場は、前日比5.3ドル安とややまとまった下げを演じた。
90年代の金市場を席巻したのが、一部中央銀行の保有金売却の動きだった。世界各国の中央銀行がその準備資産として保有する金の総量は約33,000トンあり、「地上在庫」と呼ばれる有史以来掘られた金約14万トン(オリンピックプール3杯分)の4分の1を占めている。その大きな部分を占めるセクターから出始めた売却の動きは、「次の売却はどの中央銀行か」という“恐れ”を市場に抱かせる形となり、時間の経過とともに金市場での最大の悪材料となっていた。そうした流れに終止符を打つきっかけとなったのが、ヨーロッパ15の中央銀行による金の売却と貸出の制限に関する取り決め、いわゆる「ワシントン協定」だった(2001年2月13日配信号参照)。
その協定成立の立役者がドイツ連邦銀行のティートマイヤー前総裁であったのは知る人ぞ知るところである。伝統的に準備資産としての金保有を重視する傾向の強かったヨーロッパのなかにあって、ドイツ連銀はとりわけ保守的な姿勢で知られる中央銀行だった。
単一通貨「ユーロ」への参加基準の中に財政赤字や政府債務を一定限度内に抑える“しばり”が存在するが(政府債務残名目GDPの60%以内など)、90年代後半の統合準備段階でドイツはこうしたハードルを越えられるかどうか懸念された時期があった。東西ドイツ統合によるコスト増加により財政の赤字化が進んでいたのである。そうした折に大量(3,456トン)に保有する金の「売却」や簿価と時価の差に着目した「評価換えによる益出し」を利用した赤字削減策が、時の政権によって検討されたことが複数回あった。ところが、その度に非常に強い抵抗にあい実現には至らなかった。この反対の矢面に立っていたのがドイツ連邦銀行だった。
こうした事例から分かるように、今回の発言の主がドイツ連銀総裁であったことが市場にとって驚きであり、意外性があったのは言うまでもない。その意味からすると、話が伝わった当日19日の5.3ドル安、翌20日の1ドル安という反応は、「よくそれで収まった」というのが正直な感想である。そこにはやはり「ワシントン協定」という決め事が存在し、いかなる売却もその枠にそって行われるであろうとの予測が立つことが、市場に冷静な判断をさせたものと思われる。
事実、その後2月26日にドイツ政府が通信各社あてに声明文をメールにて送付しているのだが、そのなかで「売却はすぐに行うものではなく、現行のワシントン協定が満了を迎える2004年までは売却の意図はなく、また売却資金を財政赤字の補填に使うことも考えていない」ことを表明している。
ドイツでは旧通貨マルクが今年の1月1日から法定通貨ではなくなり、本日2月28日で金融機関でのマルクからユーロへの交換も終了する。すでに1999年からは、単一通貨ユーロの監督権限はECB(欧州中央銀行)が握っているが、これで名実ともにマルクの発行者であり管理者であったドイツ連銀の役目は終わることになった。そしてその位置付けは、ECB傘下の中央銀行としてドイツ国内の金融システムの管理監督などが主な役割となった。ただし、参加各国が拠出した外貨準備はECBが代表して保有するものの、並行して残った外貨準備を各国中央銀行が保有・運営することは認められている。
ところで、強い通貨として知られていた「独マルク」を手放すことに対する抵抗は、ドイツ国民はもとより政府サイドにもあったとされている。旧西ドイツの首都があったボン近郊の村に東西冷戦時代の名残でもある核シェルターがある。3000人が30日間暮らせるほどの規模とされるが、冷戦終結で不要になった。そこで90年代末、その空間にユーロ導入で不要になったマルク紙幣を保管しようとの計画があったと伝えられている。ドイツ発展の象徴であったマルクを廃棄することへの抵抗と、万が一マルクが復活する日に備えるという意味合いも込めての計画であったという。この案は98年ころまでは連邦政府でも真剣に検討され、結局維持管理のコストが問題となり実現することはなかった。通貨の放棄は“主権の放棄”とまで言われることがあるのだが、ユーロへの転換が進んだ今となっては、もはや後戻りも無理となった。したがって、強いマルクを間接的にサポートするという意味合いのあった金保有の目的は、12カ国の共通通貨となったユーロが流通する現状の下では、やや異なったものとなるのは否めない。
ただ、今回のウェルテケ連銀総裁の発言もインタビュー原文を見る限りでは、非常に湾曲的な言い回しとなっており、“方向性として一部売却もありえる”というニュアンスの表現となっている。おそらく2004年以降の「協定」見直しを睨んでのものと思われ、結局は管理された売却枠の“陣取り”に参加する意思を表明した程度の話と受け止めていいだろう。つまり、将来の需給要因として問題になることはあれ、かつてのように心理面で市場にプレッシャーを与えることは当面なさそうである。
なおNY市場の金価格は、この報道が流れる前の水準に復帰している。思い起こせば約3年前の春にもフランスの売却意向が流れたことがあり、乱高下したことがあった。その後自然消滅したが、今回も同様な経過をたどりそうだ。ただし、「中銀売却」は今後も需給上の問題として残るということを意識させる事件でもあった。“春の嵐”再びである。(2月28日記)
金融・貴金属アナリスト
亀井幸一郎