日銀は死んだのか?―超金融緩和政策の功罪
量的緩和だけでは追いつかない 本紙掲載2002年01月13日
デフレの進行を止めるために、さらなる金融緩和策がとられている。すでに金利はほとんどゼロなので、金利面での一層の緩和の余地はなく、政策の柱は日本銀行が供給する資金の量を増やすという量的緩和になっている。しかし、この量的緩和策の下で、所期の効果は得られないままに、歪(ゆが)みだけが拡大している。
歪みは、金融機関同士が資金を融通しあう場である短期金融市場で顕著となっている。本書は、その短期金融市場に関(かか)わる代表的エコノミストによって、現在の量的緩和策がもたらしている弊害を警告すべく書かれたものである。
金利があまりにも低くなったので、金融機関にとって短期金融市場で資金を運用しても、事務コストと人件費が金利収入を上回る状態にあり、運用すればかえって損になってしまう。それゆえ、日銀がいくら資金を供給しても、金融機関は手元に死蔵するだけで、資金が市場に流れなくなってきている。すなわち、量的緩和策の下で、結果として短期金融市場は機能を停止しつつある。
短期金融市場は一般にはなじみのない存在のために、この変調もあまり注目されていない。しかし、市場の機能停止が続けば、日銀というよりも市場経済そのものが死ぬことになる。量的緩和策は、こうした犠牲を払ってまでも実施する意義があるものなのか。本書は、日本と米国の歴史的経験を検証しつつ、この問いに否定的な結論を導いている。
今後考え得る追加的な金融緩和策は、「地域振興券を大々的に配布」するに等しいものしかなく、大規模な財政負担につながる可能性がある。したがって、そうした政策をとるとすれば、政府と日銀が共同して責任を負うべきであり、両者間の合意(アコード)を確立することが不可欠である。日銀にだけ責任を押しつけて済むものではない。できれば選挙で是非を問うべきだと、本書は主張する。
マーケットの最前線にいる者が抱く現状の金融政策に対する危機感が、ひしひしと伝わる著作である。
[評者]池尾和人(慶大教授)日本経済新聞社発行
かとう・いずる 65年生まれ。東短リサーチチーフエコノミスト。