http://www.netlaputa.ne.jp/~kagumi/0202-3.html
アルゼンチンの危機には、ペソの対ドル固定相場が密接に絡み合っている。1991年に設定されたこの固定相場が崩れたのだ。しかし、この結末はそもそも予想し得るものであり、不適切な政治が招いた結果はそれだけにとどまらない。通貨をめぐる緊迫状態は、新自由主義モデルの外的(いかに世界市場に食い込むか)および内的(いかに富を分配するか)矛盾を表しているにすぎない。この点を理解するためには、1980年代末にさかのぼる必要がある。この時期にラテンアメリカの三つの大国、ブラジル、メキシコ、アルゼンチンが通貨政策の重要な転換を行ったからだ。
1982年のメキシコ危機の際、シルバ・エルソグ財務相は債務支払停止に陥るのを避けるために国際通貨基金(IMF)や世界銀行、および米国政府の援助を取り付ける前に、利払いの停止を宣言した。危機の直後に示された初期の構造調整案では、いずれも通貨切り下げが強く推奨されていた。経済の主眼は債務支払のための外貨獲得に置くべきだという論理である。そのためには国家財政の健全化によって、(中央政府の)公的債務という「競合相手」を排除し、対外債務を優先しなければならない。次いで、内需を縮小し、輸出を優遇することが求められる。
通貨を切り下げて競争力を高めるという政策はたしかに輸出を増大させるが、その反面、ほぼ同時にインフレが進行する。切り下げによって輸出価格が相対的に下がるにしても、逆に輸入品の価格は上がるため、財とサービスの価格は全体として上昇する。さらにここに、純粋に経済的とは言えないメカニズムが付け加わる。ほとんどの場合、輸入業者は一儲けしようとして、投機的と呼ぶべき手口によって、通貨下落による物価上昇に便乗するのだ。
インフレは金利の急激な上昇を招く。すると、今度は公的債務の利払いがかさみ始める。予算が(利払いさえなければ)収支均衡し、歳入超過すら見込まれていたとしても、財政赤字はふくらんでいく。こうなると、国は利払いのために借金を重ね、インフレがさらに拡大し、対外債務を返済するための財源は目減りする。このメカニズムは急速に抑制不能な暴走の様相を呈してくる。インフレは通貨の価値を失わせ、いっそうの悪循環を呼び起こす。ほとんどの国でハイパーインフレが生まれ、それがアルゼンチンでは1989年に年率4900%という異常な値に達し、社会の崩壊を引き起こした。アルゼンチン第二の都市ロサリオが暴動と略奪に揺れ、その鎮圧により14人の死者が出たのは、同年5月末のことだった。
自国通貨をドルに連動させる動きは、この惨事を教訓として出現した。メキシコでは1987年12月、ブラジルでは少し遅れて1994年のレアル・プランが転機となった。アルゼンチンでは1991年に、メネム大統領とカバロ財務相の下で、「兌換法」をもってペソとドルの固定相場が導入された。
この時期の「通貨制度の見直し」が、ペロニスタ(正義党)の大きな成果として主張されることになる。ハイパーインフレの悪夢に終止符を打ったメネム政権は、任期終盤の汚職疑惑(1)にもかかわらず、その後も高い評価を保っている。だからこそ、1999年に政権を握った中道・左派連合も兌換法の原則には手を付けず、カバロ氏を起用してまで固定相場を死守しようとしたのだ。
二つの矛盾する「魅力」
強い通貨を持つことの利点は、インフレと通貨切り下げの悪循環を終わらせることだけではない。対内債務の名目額を抑制し、対外債務の実質負担を減少させることにもなる。だが、新自由主義モデルが機能するためには、安定的な外国資本の供給により、慢性的な経常収支赤字が補填されなければならない。しかも、この赤字は強い通貨の下では拡大傾向にある。固定相場制の採用は、外国資本にとっての保険でもある。つまり、資産価値が急激に下落するリスクはないということだ。ただし、これは当然ながら、為替レートの変更がないことを前提としている。
これらの否定し難い利点は、新たな不利益により相殺されることになる。不利益の最たるものは、強い通貨によって輸出競争力がなくなることだ。アルゼンチンの場合はそれが特に顕著だった。1997年から2001年にかけて、ペソ対ドルの為替レートは1対1に固定され、物価は安定していた。同じ時期、ブラジルの通貨レアルは下落を始め、1999年1月の50%切り下げを経て、ドルに対する価値を60%失った。その一方で国内物価の上昇は25%にとどまった。つまり、アルゼンチンの物価をドルに換算すると、ブラジルの物価の2倍になる。この競争力低下は、貿易収支となって表れる。米国に対してはペソ対ドルが固定されているため、収支に変化はない。しかし、南米南部共同市場(メルコスル)(2)をはじめとする他のラテンアメリカ諸国、特にブラジル、さらにヨーロッパに対する収支は悪化する。アルゼンチンの2000年の輸出総額は、国内総生産(GDP)の9%という異常に低い値にとどまった。
貿易赤字の増大を前にした投資家は、アルゼンチン政府が為替レートを維持しつつ、返済を履行できるのだろうかと疑問を抱き始めた。危機が始まってからの数カ月間、この信認喪失は金融格付機関により時々刻々と数値化された。こうした流れを食い止め、資本家の信認を取り戻すためには、為替取引のリスクに対し、とりわけ目前の支払不能のリスクに対して、金利の思い切った引き上げによって保証を与える必要があった。
金利の引き上げは、国家財政をさらに悪化させるだけに終わった。1996年から2000年の間だけで、公的債務の利払い金額は46億ドルから96.5億ドルへと倍増した。2000年末に「金融武装」と呼ばれるプランの枠組みで出資された397億ドルその他、IMFの援助金は渦の中に飲み込まれていった。
こうしたメカニズムは、カレンシー・ボード制度(ペソ対ドルの固定相場制)の厳しい制約により、さらに苛酷なものになる。この制度では、通貨供給量が公的外貨準備に左右され、その準備高は対外収支に応じて変動することになるからだ。アルゼンチンは正統派経済学の落とし穴に入り込み、コラリート(銀行預金の引き出し制限)政策へと至った。ペソは強いが、もはやペソはないのだ。
最適な為替レートの追求という無謀な努力をみれば、自由主義的グローバリゼーションが前提とする第一原理の破綻が明らかになる。アルゼンチンのような国は世界市場で互していくことができなければならず、その水準に至るのに必要な生産性向上を促進するのが、競争相手への門戸開放だとされる。外国資本による赤字補填は過渡的なものと考えられている。現実の世界では、このモデルはグローバリゼーションの進行によって不安定になっていて、為替レートは、同時に示さなければならない二つの矛盾する「魅力」の間で揺れ動く。一方では競争力のある価格(過小評価された通貨)で買い手を引き付け、もう一方では確かな収益(過大評価された通貨)により資本を引き付けなければならないのだ。基本仮定が間違っているため、南側のほとんどの国は周期的に危機に陥り、その度に一方から他方へと政策を変えていかざるを得ない。
ドル化の流れ
ペソの対ドル為替レートの固定は、途方もない社会的逆行を代償とした。1991年から98年にかけて、アルゼンチンは平均5%の経済成長を記録し、ラテンアメリカ全体の3.4%を上回った。国民一人当たりの生産性は同じ時期に約30%上昇したが、平均賃金は3%減少した。このモデルの中核は、生産性向上の利益がますます不平等に分配されていくことにある。比較的堅調な成長にもかかわらず、1992年には7%だった失業率は現在17%を超えており、不完全雇用率がそれ以上であることは言うまでもない(4)。
このようなモデルでは、利益はごく一部の社会階層によって独占される。この不平等分配は社会的にみて受け入れ難いだけでなく、経済的にみても腐敗している。国内市場の活力のなさが投資意欲の減退を招くとともに、支配者層の極端な不労所得を許してしまうからだ。ブエノスアイレスでは危機の最中、ドルに換えやすい証券が買われたために株価が上がった。また、流出した資本は1200億ドルに上るとみられ(うち240億ドルが2001年3月から12月までに集中)、これは公的債務総額にほぼ匹敵する。
対外的には通貨、国内的には社会という矛盾の衝突する場が国家予算である。超自由主義の方針をとれば、持てる階級の所得が税の網にかかりにくくなる。IMFで税制局長を務めていたヴィト・タンジ氏でさえ、かつて日刊紙クラリン(1997年8月11日付)で、次のような発言をもらしている。「現行の税制では多くの人が税金を払わないことで豊かになっている。とりわけ資本の所得や利子、配当金で儲けている人々だ」。汚職はもちろん、税金逃れや資本の持ち出しといった支配者層の振る舞いは、危機の大きさをよく物語るものだ。
内外の矛盾がもつれ合い、利害関係は様々に広がっている。サラリーマン、小口預金者、年金生活者、銀行、国外債権者、輸出に携わるアルゼンチンの資本家、それからスペインやフランスの多国籍企業、それらの国の政府、そしてもちろん、IMFや米国財務当局その他の機関など、あらゆる「アクター」が通貨政策にかかわっている。
アルゼンチンとブラジルの不協和音は、メルコスルの行く末に問題を投げ掛けた。アルゼンチンは、ブラジル製品の氾濫に対抗するために保護貿易措置をとるに至り、加盟国間の貿易強化の動きはぱったり止まった。ブラジルは、2005年に予定された米州自由貿易圏(FTAA)(5)に難色を示しており、通貨政策でも独自路線を行き、各国に広がるドル化の流れから距離を置くことにより、さらに孤立を深めているように見受けられた。
ここでは、ドル化と経済統合という二つの問題を分けて考える必要がある。米国が原則としてドル化に好意的な立場をとっているという事実はない。米国は、ドルの基準通貨化には好意的だが、ただし連邦準備制度理事会(FRB)が「最後の貸し手」としての責任を負わないことが条件になる。IMFの改革に関するメルツァー報告(6)では、「固定相場(ドル化)か変動相場か」について、選択の余地を残している。
アルゼンチンにとって、今回の危機は、理にかなった通貨制度を基礎としてメルコスルの息を吹き返させる好機となるかもしれない。それは、ブラジルに倣い、またブラジルとともに、FTAAというドル圏とは一線を画すことを意味する。いずれにしても、アルゼンチンの例は、ドル化の吸引力を著しく減少させる効果を持つだろう。差し当たって事実上の支払停止により、通貨価値の下落による多額の損失を負担すべきなのはだれなのか、つまり「下の者たち」なのか「上の者たち」なのかを見極める時間が与えられた。一方ではアルゼンチンの国民から、他方ではIMFや欧州委員会(7)から、ドゥアルデ大統領にのしかかる矛盾した圧力には、ある不安定なモデルの矛盾がくっきりと浮かび上がっている。
(1) メネム元大統領関連の合わせて約1000万ドルに上る二つの銀行口座が2002年1月21日、スイスの裁判所により凍結された。メネム氏は、1991年から95年にかけてクロアチアとエクアドルに兵器を不法輸出した責任を問われ、167日間にわたり拘留された末、2001年12月初めに釈放された。
(2) メルコスルにはアルゼンチン、ブラジル、ウルグアイ、パラグアイが参加し、チリとボリビアが準加盟国となっている。
(3) 最近の例としては、2001年6月に成功裏に実施された「メガカンヘ」と呼ばれる債券の大規模な転換措置がある。政府はこれにより、2005年に満期を迎える債務(総額295億ドル)を利回りのよい(平均15%)長期(最大30年)の債務に切り替えることに成功したが、その分、利払いの負担が増した。
(4) 国連中南米カリブ経済委員会(ECLAC), Estudio economico de America Latina y el Caribe 2000-2001, http://www.eclac.cl/estadisticas/
(5) ジャネット・アベル「ラテンアメリカ市場統合への圧力」(ル・モンド・ディプロマティーク2000年10月号)参照。
(6) http://www.house.gov/jec/imf/meltzer.pdf
(7) 欧州委員会はドゥアルデ案を「信頼性に欠ける」として痛烈に批判している。実際に問題にしているのは、スペインとフランスの資産に対する保証の欠如である。2002年1月16日付エル・パイス紙を参照。
(2002年2月号)