この一月から欧州単一通貨「ユーロ」の現金が流通、いよいよドルとユーロ
と円の三極構造になったが、異常事態が起きている。日本が銀行救済と不良
債権処理のために、米国はバブル崩壊後の景気立て直しのために、ユーロは
新通貨流通促進のために−−それぞれ目的は違うが、かつてない規模で通貨
を供給、つまり中央銀行がお札を刷り続けているからだ。しかし野放図にお
札を刷って垂れ流すと、おカネの価値が下がる。それを回避するため通貨・
金融当局はあらゆる戦略、ときには「謀略」すらも巡らせる。
あれよあれよという間に一ドル一三〇円台半ばから一四〇円台をうかがう
急速な円安も、そうした「通貨マフィア」たちの散らせた花火の所産だ。やれ貿易
黒字が減ったの、日本経済への不信だのという後講釈は、ファンダメンタルズ屋に
任せておけばいい。
昨年秋、九月十一日テロによる市場の混乱と並んで、米国の通貨当局を震撼
させた「事件」がある。それまで最大の対米投資の源泉だった欧州が、その流れを
止めてしまったのだ。ユーロ通貨の価値を維持するため、米国に流出していた資本を
還流させ始めた。
米国が君臨するグローバルの時代では、基軸通貨のドル札をいくら刷っても外から
の資金流入が安定していれば信認は揺るがない。ところが、昨年七ち九月期に米国
への資本流入は五二一億ドルに落ち込んだ。四〜六月の二二六五億ドル、一〜三月
の三四六六億ドル、前年同期の二五六七億ドルと比べればいかに大幅減かが分かる。
欧州資本還流の穴を埋める日本
EUからの資本流入激減が何と言っても大きい。七〜九月期はわずか一六三億ドルで、
四〜六月期の十分の一強に過ぎない。英国を除く独仏イタリアなどユーロ中核六カ国では、
四〜六月期の八八四億ドルから一挙にマイナス十六億ドルに転落した。昨年初からの
米国景気屈折が明らかになり、さしものM&AやIPO(株式公開)ブームが去ったこともあるが、
欧州からの資本引き揚げが始まったのである。
テロによる市場の動揺と重なり、米国は市場のクラッシュを懸命に防ごうとする。米国の
通貨供給量(マネーサプライ)は九月から爆発的に増加している。九月から三カ月間でM3は
年率一八・六%も増えた。銀行貸し出しをみると、証券購入資金が十一月で前年同期比
一二・七%増、不動産向け貸し出しは同五・九%増で、全貸し出し平均の同五・一%増を
上回った。その半面、一般商工業向け貸し出しは同四・一%減である。つまり、金融量的緩和
の狙いは債券・株式と不動産市場のテコ入れに振り向けることだった。
この思い切った量的緩和策の主役は、アラン・グリーンスパン連邦準備理事会(FRB)議長と
いうよりも、米海軍出身で危機管理の専門家でもあるマクドナー・ニューヨーク連銀総裁の発意
によるのだろう。
「マクドナー総裁は同時多発テロ後の米市場をクラッシュさせないためには、もうひとつのバブル
を起こしてもよいと考えている。市場が崩壊したときのコストは計り知れないし、もたついて
無策のままだと、日本の二の舞になると判断したはず」とFEDウォッチャーの一人が言う。
だが、金融緩和だけでは支えきれるかおぼつかない。基軸通貨のメリットを使い、対外債務を
膨らませながら繁栄を謳歌する米国にとって、欧州が抜けた穴をどこかに埋めてもらわなけれ
ばならない。頼みは日本だ。七〜九月期の日本からの資本流入は一二六億ドルで、欧州の穴を
埋めるには足りなかったが、十月以降は日本から集中豪雨的な対米資本投資が再開した。それが
十一月以降に円安・ドル高進行に弾みがついた真の理由なのだ。
十月だけで三百億ドル以上の対米証券純投資があり、日本の投資家は米国財務省証券、
公的機関債券、そして民間の社債を積極的に買い、財務省証券は日本が全面的に引き受けた。
十一月以降はまだ日米欧間の資本移動をデータで示せないが、米国のベテラン金融アナリストは
こう言う。
「日本からの対米投資は東京発に限らない。ロンドンなど欧州からもかなり
出ている。日本の機関投資家の対米投資は、明らかに当局から円安・ドル高
になるとのお墨付きを得ている。それが証拠に、十一月からは先物などによ
るリスクヘッジをかけていない」
行け、というサインがあったのだ。だとすると「日米合作」であり、結果と
して起きる円売り・ドル買いによる円安は双方とも承知の上だったことにな
る。ただ、それはあくまで米国の都合優先で、円安で日本の輸出競争力を強
め、デフレと不良債権に悩む経済大国を救おうとの親切心からではない。
とはいえ、日本の財務省や日銀にとっても不都合ではない。円安で輸出企
業が潤えば経済も一息つける。民間金融機関は金利ゼロで日銀から借り入れ
て米国債で運用できる。ドル高差益は、不良債権処理に充てられる。日銀も、
容赦ない政府・自民党のバッシングをしばしかわせる。
オニール長官はつむじを曲げたが
だから財務省はもとより、日銀幹部ですら(速水優日銀総裁らの公式発言
を除けば)円安容認発言を非公式に繰り返してきた。来日したポール・オニ
ール米財務長官が塩川正十郎財務相と会談した後、「為替市場は市場が決定す
ることで、市場の決定を尊重するという意味のことを言っていた」との塩川発言
が流れると、市場は「米国も黙認している」との確信を強めた。
ところが、オニール長官がつむじを曲げた。在日米国ビジネスマンとの朝食会では
「日本の連中はどうなっているのか。オフレコを前提にざっくばらんに意見交換している
のに約束を全然守らない」と非難した。円安に徐々に不満を募らせている全米
製造協会や周辺アジアヘの配慮もあるだろうが、日本が「人為的な為替操作で(不良
債権処理問題などを)乗り切ろうとしている」(日本記者クラブでの発言)とみたから
余計に苛立ったのだ。
もともとオニール長官は、日本が金融の量的緩和や円安、さらにインフレによって
不良債権を処理することに乗り気でない。
しかし、ジョン・テーラー財務次官やローレンス・リンゼー経済担当大統領補佐官ら
「量的緩和」論者に、結果としての円安は構わないと説き伏せられたのだが、いざ日本に
来ると、日本の当局者の関心はもっぱら円安。不良債権の最終処理を後回しにする姿勢に、
長官ならずとも腹にすえかねたろう。
問題は、国際テロ組織退治に忙殺されるブッシュ政権には円安をどの範囲で収めるか、
確たる目標圏がないことだ。ニューヨーク市場の回復と安定こそ優先課題であり、無能無策
な日本の当局の尻を叩く余裕はない。円安など放置しておけ、メルトダウンしたとき
のリスク管理を考えておけばよい −という選択もありうる。
これは一九八五年のプラザ合意の陰画に見える。当時のジェームズ・ベーカー財務長官は
劇的なドル高反転に成功したはいいが、目標を超えるドル急落に見舞われた。今度はその
目標圏も定かでない。漫然と円安を容認しているうちに市場が牙を剥く「逆プラザ」になりかね
ない。九八年八月の安値一四七円六四銭を超えて底なしの円安になれば、アジアが悲鳴を
あげるだけでなく、日本株から外国投資家が逃げだし、日本は破綻企業を漁るハゲタカの草刈
場になってしまう。