●衝撃だった内閣支持率の再下げ
前回、「内閣支持率と平均株価がどうやら下げ止まったようだ」と書いたばかりだが、日経平均株価の1万円の大台復帰はその通りだったとして、支持率の方は再び下げに転じ、小泉純一郎首相の周辺を落ち込ませている。15日発表された時事通信社の世論調査結果によると、小泉内閣の支持率は前月比21.3ポイント下がって46.5%。1960年の同調査開始以来の大きな下げ幅ということもさることながら(1)サンプル数が少ないテレビ各局を除く、新聞・通信大手の調査の中で最低を記録した(2)他の調査はほとんどが電話による調査だったが、時事の調査はより信頼度の高い面接調査だった(3)調査時点が2月8日から11日と他社より遅く、田中真紀子外相更迭以外の理由も支持率低下の原因と考えられる―などが衝撃の原因となった。
●不安定期脱せない小泉政権
「内閣と自民党の支持率を足して100パーセントなら政権は維持できる」との青木幹雄自民党参院幹事長の理論に従えば、小泉内閣は支持率80%の時、自民党の支持率が20数%だったから政権は揺るがなかったが、今回の調査では自民党は27.3%で内閣のそれと合わせても73.8%と100%を大きく下回る。青木氏はその後、同調査について特にコメントしていないが、小泉政権がまだ不安定期を脱していないことだけは間違いなさそうだ。
また小泉政権は従来、女性だけではなく、民主党支持者や無党派層の支持も高かったが、今回はいずれも支持と不支持が逆転。外相更迭以外に景気低迷や狂牛病、サラリーマンの医療費負担増問題などでも首相への不信感が増している形跡がうかがわれる。
●政権の受け皿にならない民主党
こうした大幅な支持率下落を記録した政権は過去、再び盛り返すより、このままずるずると崩壊に向かうケースの方が多い。ただその場合、政権の受け皿があるのかと言えば、野党第1党の民主党の支持率が前月比0.2ポイント増のわずか4.5%にとどまっているようでは、同党の政権獲得はとてもおぼつかないだろう。従って、この調査から読み取れることは、小泉政権の支持率が今後下がり続けても、求心力をなくしたまま政権がレームダック状態で生き残っているのか、あるいは自民党が割れて、新たな政権作りの模索に動くかである。そのきっかけはむろん、衆院解散とそれに伴う新党結成だ。
民主党はこのところ小泉政権に対する攻撃を強めているが、首相が主張する「国債発行額30兆円枠」について、現状に不利というだけで「30兆円枠は実質意味がない」(鳩山由紀夫代表)と方針転換したのでは、国民を納得させることは困難だろう。同党が本気で政権取りに向かう気なら、有権者に「この党に一度政権を託してみたい」と思わせる何かが必要だ。それがない限り、自民党の補完勢力にとどまるだけだろう。
●うごめく「石原新党」、公明党、森前首相ら
これに関連して中曽根康弘元首相が「解散近し」と見ていることや、石原慎太郎都知事の周辺が再び「石原新党」作りでうごめき始めたとの情報があることを紹介しておきたい。
一方、公明党やその支持母体の創価学会は田中外相更迭と内閣支持率低下を密かに歓迎、「もはや首相は民主党カードも失った」(公明党首脳)と、与党内での公明党の比重が高まること期待しているようだ。また同党と学会は最近、どういう事態になっても与党にとどまる決定をしたとも伝えられる。これに符合するかのように森喜朗前首相は最近、「自公路線を強める」として、野中広務元幹事長を再び政権中枢に引き戻す考えを周辺に漏らしていると言われる。同時に森氏が、小泉首相の後見役として発言力強化を狙っていることは言うまでもない。
●不良債権の簿価買い取りは「平成の徳政令」
政府・与党内部に金融システムの安定化を柱とするデフレ対策立案の動きが急となる中で、2002年度予算案をめぐり早くも早期補正予算の編成など財政出動を求める圧力が強さを増している。小泉首相は「30兆円枠」維持のため、依然慎重な姿勢を崩していないが、先の2001年度第2次補正が将来の国債償還財源となるはずのNTT株の売却益を充てたことで「30兆円枠は実質的に突破している」との見方も強まっている。
一方、自民党の山崎拓幹事長と保守党の野田毅党首が、整理回収機構(RCC)が銀行の抱える不良債権を購入する際の評価基準を時価から簿価に改めるよう、今国会での金融再生法再改正で一致したことについて「安い不良債権をより高い簿価で買うことは言わば“徳政令”となり、政府の信用はがた落ちになる」との厳しい批判が出ている。本来こういう話が出る事自体、政権の信用性を疑わせることにつながりかねないが、与党の首脳が会談で一致し、それを記者会見でわざわざ披露するという異常性にこの政権の「末期症状ぶり」が表れているように思えてならない。
●一方的に過ぎる鈴木議員批判
お叱りを覚悟の上で書くのだが、最近の鈴木宗男議員(自民)に対するマスメディアの批判、非難は一方的に過ぎるのではないだろうか。確かに、同議員側に外務省などとの癒着ぶりが過度であり、官僚らをどう喝まがいに怒鳴りとばしたなどの事実はあるのだろうが、だからと言って、一部週刊誌のように“殺人者”呼ばわりするのは明らかに行き過ぎだろう。テレビなどもこのところ週刊誌的になっていて、「顔が気に入らない」「いかにも悪いことをやりそうだ」などと、ほとんど人権侵害ともなりかねないコメントを平気で流しているが、これは公平、公正、客観を旨とする報道機関の姿勢に逸脱する。もし仮に法に違反するような行為があれば、当然のことながら司直の手が入ろう。そうでなく、明白な証拠もないまま印象だけで同議員を一方的に非難するのは大衆によるリンチと同じである。かつて冤罪はそうやって作り上げられていっただけに、一言申し上げる。批判は敢えて甘受する。
(政治アナリスト 北 光一)