朝日生命・花田宗夫専務(60歳)の自殺は、いまなお多くの謎を残したままだ。なぜカッターナイフで自らの身体を切り裂いたのか。なぜ臨時役員会に向かう直前に命を絶たねばならなかったのか――。東京海上との統合交渉の最中に起きた、営業トップの壮絶すぎる死。遺族が初めて、本誌に真相を明かした。
●父には決意することがあった
「夕方5時10分ごろ、実家から『すぐに来て! お父さんが……』と、電話が入りました。私が到着したときは、救急隊の方が一生懸命応急処置をしているところでした。後で言われたことですが、その時はもう心肺停止状態だったそうです。
救急隊の方を掻かき分けて、父の姿を探しました。父がどんな格好をしていたとか、血がどうだったとかは、なぜか覚えていません。とにかく『なんで? どうして? なんでこんなことになっちゃったの』という思いばかりが頭の中を駆け巡りました。私はずっと叫んでいたと思います」
自殺した朝日生命専務・花田宗夫氏(60歳)の娘Aさんは、言葉をひとつひとつ確かめながら、ゆっくりと話した。
朝日生命の営業トップだった花田氏が自殺したのは、1月28日の午後5時頃。午後4時にハイヤーで帰宅し、運転手を自宅マンション前に待たせているほんの1時間の合間のできごとだった。
花田氏は帰宅後、
「魚が食べたい。5時になったら起こしてくれ」
と夫人に伝え、寝室に入った。1時間後、夫人は刺身を用意し終わると、約束通り寝室のドアをノックした。しかし返事がない。ドアを開ける。すると、ベッドの上でパジャマ姿の夫が横になっていた。よくみると、シーツが真っ赤に染まっていた。
花田氏の知人が説明する。
「部屋の中は壁、床いっぱいに血が飛び散り、出血量は相当なものだったと聞きました。傷口は腹、両手首、そして首。右肩から左脇腹まで斜めに斬りつけた跡もあった。ベッドの脇にはカッターナイフが置かれていたそうです」
夫人がすぐに救急車を呼び、花田氏は新宿区内の東京医科大学病院に運ばれた。
「母は家に残り、私が救急車に乗りました。『足をさすってあげてください』と言われたので、必死で父の足をさすりました。そうしているうちに、父はどうしてこんなことをしたんだろう。なんで自殺しちゃったんだろうという思いで、頭がいっぱいになってきました。父は本当に会社を愛した人ですから、会社をダメにしようと思って死んだわけがありません。でも、つまらないことでクヨクヨする人じゃない。仕事で何か決意することがあったんだと強く思いました」(前出のAさん)
午後6時30分、花田氏の死亡が確認された。失血性ショック死だった。
いま現在、遺書は発見されておらず、花田氏の自殺原因は、親族らにも分かっていない。しかし、花田氏が自殺した当日は、午後7時から朝日生命本社で臨時役員会が予定されていた。
難航していた朝日生命と東京海上火災との統合交渉が大詰めを迎えていた時期だけに、花田氏の自殺は社内のみならず業界関係者にも大きな波紋を投げかけた。
●朝日生命本社に乗り込んだ
遺書などがないかぎり、自殺者の動機を究明することは容易ではない。こうしたケースでは、往々にして、さまざまな憶測、噂が流れる。
新聞、テレビをはじめ、当初は「統合問題を苦にした自殺ではないか」という見方が強かったが、時間がたつにつれ、「単なるノイローゼ死」「病気を苦にした自殺」など、さまざまな憶測が飛び交うようになった。しかし、Aさんは、声を大にして語った。
「父が亡くなった翌々日、私は高井戸署まで行きました。父が死を選んだ理由をどうしても知りたかったからです。1時間ほど対面しました。傷口は思った以上に深かった。父が使ったカッターナイフも自分の手で握ってみました。小学生が工作で使うのと同じタイプの小さなナイフでした。とっても軽かった……。
お腹の傷口は15cmぐらいあって、深さもかなりありました。そんな父の遺体を見て、私は父の死には絶対に意味があると思いました。『ああ、この傷口が遺言なのかもしれない』。そう思いました。
もし精神的に病んでいて、突発的に死を選んだのなら、ビルから飛び下りてもいいし、ホテルの一室で死んでもいい。背広のまま死んでもかまわないじゃないですか。
ところが父は、あえて家で死んだ。しかも、きちんとパジャマに着替えて。冷静だったんです。決して、フラッと帰ってきてフラッと死んだんじゃない」
朝日生命は、花田氏が亡くなった翌日、日経新聞紙上に、
「経営にとって重大な損失だ。花田氏は東京海上との交渉の直接の当事者ではなく、交渉は粛々とやっていく」
と、コメントを発表した。
しかし、前出の知人はこう憤って言う。
「あのコメントには、肩書に代表権まであった役員の死に対して、その死を悼んでいるという気持ちがまったく見えない。『花田さんは東京海上との交渉には直接関わっておらず、交渉は粛々と進める』なんてよく言えたものです。花田さんご一家が、朝日生命に対して不信感を抱くのも当然です。『朝日生命はひどすぎる!』と、ご一家が嘆いていたのも分かります」
Aさんも含め、花田さん一家は、本誌の取材に対して、朝日生命への怒りを直接口にはしていない。
しかし、1月31日、東京・杉並区の浄土真宗長明寺でおこなわれた葬儀の席に、朝日生命関係者の姿はなかった。
「朝日側から社葬の申し出もあったそうですが、ご遺族はまったくその気はなかった。上層部を中心とした朝日生命関係者には、あらかじめ『来てほしくない』と連絡して弔問を断り、親族、ごく親しい友人だけで葬儀をすることにした。朝日生命に対するご遺族の怒りは、それほど根深かったのです」(花田氏の元部下)
いったい何が遺族を怒らせたのか。
親族の一人が説明する。
「宗夫さんが亡くなった翌日、娘さんが一人で朝日生命本社に乗り込んだんです。自宅で嘆き悲しむ母親を見て、『ウチの敷居はまたがせたくないけど、いま社長がどんな顔をしているか確かめに行ってくる!』と、自宅を飛び出したんだそうです。
朝日生命の社長さんは、お焼香をあげさせて欲しいと、連日電話をしてきたのですが、どの電話もかけてきたのは秘書だった。ご遺族にしてみれば、なぜ自分自身で電話をかけてこないのかと、怒るのも当然です」
●「僕は死ねない」と藤田社長
Aさんは1月29日の午前、東京・新宿区の朝日生命本社に駆け込んだ。
Aさんが振り返って言う。
「父が亡くなった翌日、私はやむにやまれぬ気持ちで社長さん(藤田讓・朝日生命社長)に会いに行きました。朝9時前に着いて玄関ホールに入ると、警備員の方に『入館証は?』と、聞かれたんです。私は『花田です』と答えましたが、それでも入館証の提示をしつこく求められたので、思わず『新聞をお読みになってないんですか!』と言いました。すると、ようやくわかってもらえたようで、『ちょっと待ってください』と、しばらくそこで待たされました。出社してくる社員の方々をしばらく眺めていると、あくびをしている人もいたりして、なんだか悲しい気持ちになりました。
しばらくして、社長の秘書の方が降りてきました。一緒に役員室のある7階に上がって、待合室のようなところに通されました。そうしたら、『ここはまずいから、向こう向こう!』という誰かの声が隣の部屋から聞こえてきたのです。それから、奥の会議室のようなところに案内されました」
そこは、広くて立派な応接室だった。5分ほど待っていると、藤田社長が現れた。Aさんは無言で食い入るように相手の顔を見た。先に口を開いたのは社長だったが、Aさんは、彼が最初に何を言ったか覚えていないという。が、その後、藤田社長の口から、とんでもない言葉が飛び出したのだ。
「藤田社長は、『遺族の気持ちを考えるならば、自殺よりも病死にしたほうが、僕はよかったと思う』とおっしゃったんです。カッと頭に血が上ってしまいました。私は、『自殺とはっきり言ってもらったほうが、父も名誉だと思います』と反論しました。
夜7時からの役員会の直前に父が死んだのはなぜなのか。その理由をどうしても知りたいという思いで、『いったい、何があったんですか』と尋ねました。すると社長は、『東京海上とのことで心労がたたって……』と、新聞に書いてあるようなありきたりのことばかり言う。だから、『心労がたたって死ぬような父ではありません。それでは、忙しさから脱出したいための死ということですか。じゃあ父はまるで負け犬みたいじゃないですか。そんな人間ではありません』と、怒鳴ってしまいました。すると社長さんは、『違う、そんなことは言っていない』と、言いました。
マスコミが父の自殺を知ったのは、たまたま東京海上との統合の問題で取材に来ていた記者さんに、母が話したからです。それなのに社長さんの口から出た言葉は、『病死のほうがよかったのでは』です。いまさら、社長さんの言葉の意味するところを深く詮索するつもりはありませんが、ひどくがっかりしてしまいました」
藤田社長はまた、こんなことも口にしたという。
「僕には死ぬ勇気はない」
Aさんは、
「一般的な意味で、自分には自殺する勇気はないと言ったんだと思います」
と冷静だが、聞きようによっては、
「そんな問題で死ぬ気はない」
と、言っているようにもとれる。場所、タイミングを考えても、遺族に対する配慮に欠けた、あまりにも軽率な発言ととれないだろうか。
それにしても、藤田社長の対応には首を傾げたくなる。単に軽率なのか、それとも他に理由があるのか。
ある朝日生命幹部OBは、藤田社長と花田氏の確執を指摘する。
「花田君と藤田君は、ともに'64年に慶応大学を卒業して朝日生命に同期入社した仲です。しかし、エリートコースである本社企画部門を歩いた藤田君に対して、花田君は営業畑ひとすじ。全国にある支社に行き、生保レディを束ねて歩くのが仕事。花田君はいわば、たたきあげの苦労人です。
生保会社はどこもそうですが、企画部門が力を持ち、営業は外で稼いでくるのが役回りです。今回の東京海上との統合交渉でも、営業トップの花田君のところには、交渉経過の情報はほとんどはいってこなかったようだ。
真面目で会社思いの花田君にしてみれば、一部のトップだけで会社の命運を分ける大切な交渉を進められては、無念の思いもあったのではないか。藤田君にしても、この大事なときに、という思いがあったのかもしれません」
●朝日社内で流れた奇妙な噂
こんな話もある。花田氏の死後、朝日生命社内で奇妙な噂が流れ始めたというのだ。
「『花田専務は、ある業者からキックバックを受けたり、社内に愛人がいた』と、ある幹部があちこちに言って回っているという話でした。ああ、始まったかと思いました。社員が自殺などしたとき、嫌な話ですが、こうした噂が流れてしまうんですよね」(朝日生命関係者)
この噂は東京海上社内にも伝わったという。
「私が耳にしたのは、統合が決裂してからでした。それにしても、役員の死に対してよくこんな噂が流れるものだと驚きました。これも朝日生命の社風なんでしょうか」(東京海上火災幹部)
本誌は藤田社長を直撃した。藤田社長は不在だったが、電話をかけると、夫人がこう話した。
「花田さんが亡くなった夜は、私も主人も一睡もできず、抱き合って一晩中泣いていました。主人は、『どうして死んでしまったんだろう。一緒にやってきた仲なのに……』と、ため息ばかりついていました。主人に対していろいろな噂が出ているようですが、私は主人を信頼しています。主人も連日の会議でこのところ、ボロボロなんです。そっとしておいてください」
取材の終わりに、Aさんはポツリとこんな思い出を口にした。
「今年のお正月、1月3日に久しぶりに父と新宿に出ました。京王プラザホテルに行く用事があったのですが、父が朝日生命本社ビルのほうを回って行こうと言ってきかないのです。仕方なくつきあいました。後で『どうしてわざわざ本社前を歩いたの』と聞いたら、父はこう言ったのです。『いや、ウチの若いヤツが出社してるかなと思ってさ』。本当に会社が好きな人でした」
1月30日、東京海上との統合前倒し交渉が決裂後、朝日生命は第一勧業銀行に基金拠出を要請。存続に最後の望みをかけている――。