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☆じゃ90年代の金融失政の責任者は誰だ?
経済漂流第3部・金融の虚弱 インタビュー:4
元大蔵省財務官・榊原英資氏
●市場感覚欠き失政招く
――ジャパンマネーの盛衰をどう見ていますか。
「80年代に日本が富を蓄積した背景には製造業の成功があった。ところが、90年代は金融を含む情報やサービスが富を生む時代となり、日本は波に乗れなかった。国境を越えて動き回る情報や金に、閉鎖的な日本社会や日本人が適応できなかったということだ」
――「円の国際化」の野望も風前のともしびです。
「大蔵省が言い出したのかもしれないが、その概念は好きじゃない。製造業の競争力があるだけで、政治、軍事、外交、メディア、情報、金融などが弱い国の通貨が国際化するはずがない。大東亜共栄圏にも似た妄想だ。通貨の国際化は最後に来る。米国のように世界の覇権を握るか、欧州のように経済統合してこそできる」
「日本にとっては、アジアで経済協力や市場統合が進む過程で近隣各国と関係を深め、同時に対米関係を考えていくことが重要だ。通貨でも、円の国際化ではなくアジア共通の通貨圏づくりに長い目で取り組むべきだ。こうした経済統合は、安全保障とも密接に絡む大きな課題といえる」
――アジア通貨危機の時に提唱されたアジア通貨基金(AMF)構想は、米、中の反対でつぶれました。
「タイの危機で開かれた97年の支援国会合で、日本はIMF(国際通貨基金)と並ぶ最高額の支援をし、アジア各国も協力してくれた。他国への危機波及も予想されたので、IMFに似た方式でAMFを作ろうとした。韓国や東南アジア諸国は賛成してくれた」
「米国は1ドルも出せなかったし、アジアでの覇権に日本が挑戦してきたと受け止めた。中国は素早い展開をつかみ切れず、日本だけに良い顔をされたくないと警戒した。翌年、2国間で外貨を融通する体制を整えたが、AMFが実現していれば危機の波及を防げたかもしれない。残念だ」
――あの時の教訓は何ですか。
「中国との連携の大切さだ。G7(主要7カ国)や東南アジアには知人も多いが、日中政府間のパイプは細く、十分な根回しや交渉ができなかった。その反省から、いまは僕自身も財務省も対中関係を非常に大事にしている」
――アジア危機に前後して、日本でも金融システムが揺らぎ始めました。この時期に金融ビッグバンをやれたのはなぜですか。
「危機だからこそ改革できた。まず、不祥事が続いた大蔵省には大変な危機感があり、権限を放棄するような、役所本来の体質とは逆の改革ができた。僕が局長だった国際金融局も、外為取引絡みの権限をほぼ手放した。銀行局は保守的だったが、最終的には『混乱するから自由化できないという理屈は通らない』という、おしりの青い正論が通った」
「次に、不良債権問題や金融危機、不祥事で金融業界が衰弱し、政治力を使った抵抗ができなかった。銀行、証券、保険と、それぞれが強いうちは垣根を越えた改革などできない。不祥事で世論の批判を浴び、理不尽に突っ走れなくなった結果、政・官・業の鉄の三角形が壊れたわけだ」
――規制が緩和され、市場が力を持ち始めました。
「金融、為替、監督など、市場を相手にする政策の成否を決めるのは、政策の中身が3割、発表の仕方が3割、タイミングが3割、その他が1割だ。日本の役人はもっと市場に敏感になる必要がある。事後の情報公開を十分に行い、責任も明確にしたうえで、少数が密室で決めたことを迅速に実行しなければならない場合もある。そういった市場感覚の欠如が、90年代の金融失政の最大の要因ともいえる」(聞き手・吉岡桂子)
(11/09)
朝日新聞社から |