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第19回「ブッシュ大統領の危険な引き金(その1)」 (アローコンサルティング事務所 代表 箭内 昇氏)
アメリカの同時テロ1周年に合わせてニューヨークを訪問した。筆者は4年間のニューヨーク駐在経験も含め、何回かアメリカを訪れており、アメリカが好きでもあり嫌いでもある。しかし、今回の訪問では強い嫌悪感と危機感を持って帰ってきた。ひとことでいえば、アメリカの暴走と自壊作用が始まっているのではないかという思いだ。
ハラハラ時計の経済情勢
第1に、現下の経済状況は大不況突入直前のハラハラ時計状態と見た。バ ブル崩壊前後の日本と酷似した現象が目立つからだ。
その一つは、物価が非常に高くなっていることである。特にぜいたく品は猛烈に高い。ニューヨークのホテルの宿泊料は、10年前には一流でも100ドル台だったが、いまや軽く400ドルを超える。120ドルだったメトロポリタン・オペラ の最上席は今や300ドルだ。すこししゃれたレストランで食事をすると、2人で300?400ドルは覚悟しなければならない。10年前は1人100ドルをこえる食事などアメリカ人にとってはク レージーな話だった。バブルの残り香が充満している。
一方で、多くの国民は近時の株価下落で大きなダメージを受けている。筆者のアメリカ人の友人達は、この1年で30?40%もの資産を吹き飛ばしたうえ、401Kによる将来の年金受取額まで大幅に目減りしたとぼやいていた。
10年前に株式投資をするのは中流階級以上だったが、今のアメリカはタクシーの運転手までが「株で大損した」とぼやいていたように、全国民総投資家の観があり、それだけ株価下落のダメージは大きいはずだ。
にもかかわらず、今のところ街に不況感はない。それどころか、高級レストランは満員だし、人気ミュージカルも1カ月先まで切符は売りきれていた。サックスでも高級ハンドバッグや宝飾品が結構売れていた。筆者は、週末にケネディ一家がこよなく愛したマーサーズ・ビンヤードという ボストン郊外の高級リゾートまでドライブしたが、往復100ドル以上もするフェリーが超満員で、3時間近くも待ったあげくようやく3隻目に乗船できたという ありさまだ。
だが、思い返すと、こうした状況も日本に似ている。つまり、バブル崩壊直後は、個人投資家は資産面でこそダメージを受けるが、まだキャシュ・フローは回っているのだ。確かに統計を見れば、ホテルや航空業界の売り上げは落ち込んでいるが、これらはもっぱらビジネス需要の不振が原因であり、個人消費はまだまだ旺盛である。今のアメリカの景気はこの貪欲な個人消費によってかろうじて支えられているというのが実態だ。
しかし、実はこの好調な個人消費の裏には大きな危険が潜んでいる。いま だにアメリカ人の財布の紐がゆるいのは、ひとえに不動産価格の高止まりと金融緩和政策のたまものだからだ。
ニューヨークでは、景気後退が始まった昨年でもマンションなど住宅用不動産の価格は2割近くも上昇したという。筆者の友人をはじめ、ほとんどのニュ ーヨーカーは不動産投資をしている。彼らは、数年前に購入した物件が2倍近くまで値上がりしたため、それを担保に銀行から借り増しをし、その資金で車や別荘を購入しているのだという。金融機関は、今でも不動産担保さえあれば積極的に融資しているようだ。金利も超低金利である。何のことはない、これは立派なバブルではないか。しかし、じわじわと失業率は高まっている。証券会社やIT業界に続いて航空業界、流通業界とリストラの輪は広がっていくであろう。87年のブラックマ ンデー後の状況が再現され、不動産価格が近い将来下落するのは確実であ り、そのとき個人は借金地獄に陥って本当のバブル崩壊が始まるはずだ。
超資本主義のとどのつまり
第2の問題は、今回深刻な不況を迎えれば、脱出に相当手間取るだろうということだ。従来の不況時と異なり、今回は景気回復の手がかりが見えないからだ。アメリカは、戦後ほぼ10年ごとに経済や社会の大きな転機を迎えている。71年のニクソンショック、80年前後のハイパー・インフレとマネー革命、90年前後のブラックマンデー不況と金融危機がそうだ。そしてアメリカは、そのつど革命的な武器を手にして復活してきた。70年代は企業の多国籍化や金融機関のユーロ市場進出など、海外戦略の展開によって局面を打開した。80年代はM&Aと不動産投資が復活の足がかりを築いた。そして90年代はIT革命と金融工学の発展が株式ブームと絡んで空前の繁栄につながった。しかし、今回は新しい舞台を作るキーワードが見出せない。アメリカの友人達に聞いても「バイオと医療関係くらいかな」と心 もとない。
このアメリカの挫折と復活の歴史の底流を見ると、経済構造が製造業からサービス業そして金融業へ、また市場が国内からグローバルへと、まさに資本主義のたどる道を一直線に走ってきたことが分かる。特に90年代は経済のマネーゲーム化が急速に進展し、情報と資本力で他国を侵略していくという究極の資本主義の時代であった。だが、98年のアジア通貨危機と巨大ヘッジファンドLTCMの破綻は、この究極の資本主義の「とどのつまり」の象徴だったように思えてならない。だからこそ、今次の時代のキーワードが見つけにくいのであろう。
自己防衛に走るブッシュ政権
第3の問題は、こうした構造的な経済問題を抱えているにもかかわらず、ブ ッシュ政権がヒステリックと思えるほどイラク攻撃を急いでいることだ。アメリカ国内では、国民の目をこうした経済問題からそらし、国威を発揚して政権維持 につなげる狙いだという見方が根強い。そうだとすれば、軍事費がかさんで財政が悪化し、再び双子の赤字の道をたどるだけだ。
一方、一部にはイラク侵略を糸口に中東の石油支配権を獲得しようという壮大な国家戦略だという見方もあった。こうなるとアメリカは、軍事力による世界経済の制覇という、資本主義を超えた異次元の世界に突入する。
しかし、10年前の湾岸戦争当時と異なり、今回は多くのアメリカ国民がイラク攻撃に否定的だ。家族をテロで失った知人もイラク攻撃に反対だといっていたし、テレビで放映された世論調査でも、単独攻撃については過半数が反対と報じていた。大義名分に乏しいし、攻撃すればかえってテロの危険が増すと考えているのだ。
筆者は、9月11日の日、早朝からグラウンド・ゼロに出かけたが、そこで見た のは、ビデオやカメラをぶら下げ、プレツェルをほおばったアメリカ人観光客の山だった。周辺には所狭しとみやげ物屋が軒を並べている。また、筆者の泊まったホテルは、11日のセレモニーのためにアメリカ各地から集まった警察官が宿泊していたが、彼らは前夜徒党を組んで大騒ぎしてい
た。こうした光景を目の当たりにすると、アメリカ人にとって同時テロ事件はすでに過去の出来事になっているような気さえした。にもかかわらず、その夜テレビで聞いたブッシュ大統領の演説は滑稽なほど好戦的だった。アメリカは不思議な国で、国内の意見が割れていても、ひとたび大統領が決断して戦争を開始すれば、国民は一致団結して戦う。テレビ の世論調査でも「最終的には大統領を支持する」という意見が圧倒的だった。
これこそがアメリカのパワーなのだろう。しかし、国際社会が成熟し、アメリ カ社会も一層多様化した現在、こうした軍事力を背景とした強引な戦略がどこかでつまずきをみせることは確実だ。おそらく、開戦を断行すれば早晩国内に深刻な亀裂を生み出すであろう。それは、結局ブッシュ政権の思想や哲学が、アメリカ国内や世界に受け入れられるかという問題に帰着する。筆者には、現在のブッシュ政権のバックボーンである「強者の論理」が広く人々の心をつかみ、普遍性を持って世界に受け入れられるとは到底思えない。 ケネディ大統領がベスト・アンド・ブライテストと呼ばれた少数のブレーンの描いたシナリオでベトナム戦争の泥沼にのめり込んでいった60年代初めを想起させる。アメリカの没落はあのときから始まった。
イスラムの農民とアメリカのエリート
1年前の同時テロ発生当時、筆者はパキスタンの北部山岳地帯で缶詰状態となり、脱出に苦労した(本コラム第2回掲載)。ビザの再発行を待つ間、所在なく近くの村を散歩した。小さな家が並ぶ緑の小道を歩いていると、1軒の家から質素な服を着た少女が出てきて、微笑みながらリンゴを差し出した。身振り手振りで、自分の家の樹からもいだリンゴだから食べてほしいというのだ。もらったリンゴをかじりながら散歩を続けると、今度は顔に深いしわを刻んだ 老人が出てきて「俺のところのリンゴも食べてくれ」という。しばらくすると今度 は花を持った少女が現れた。後で現地のガイドに聞くと、通行人は誰でも他人の家の果物を食べることができるし、遠方からの旅人は大事にもてなす風習があるのだという。この地区では数十年間1件の窃盗事件すらないことも説明した。
この8月には東トルコのイラクやイランと国境を接する地方を歩いてきた。どこもトルコ軍が厳戒態勢を固める緊張した雰囲気だったが、少し離れればそこは貧しい農村地区だ。しかし、村の小さな店で英語が通じず買い物に苦労していると、たちまち誰かがやってきて下手な英語で通訳を買って出る。道に迷って立っていると、こ れまた数人が寄ってきて、一緒に道案内をしてくれる。底抜けの親切さだ。このパキスタンのパシュティン人も東トルコのクルド人も敬虔なイスラム信者だ。イスラムの教えを守り、どんなに貧乏でももっと貧しい人に施しを授ける。
マーサーズ・ビンヤードの真っ青な海に豪華なヨットを浮かべ、白壁の別荘 から電話1本で何万ドルもの大金を動かすアメリカのエリート層に、「世界には貧しくても心豊かな日々を送っている多くの人がいる」ということを理解させるのはしょせん無理な話かもしれない。しかし、「尊敬されない国が長く栄えたことはない」ことだけは肝に銘じるべきだ。
http://bizplus.nikkei.co.jp/colm/colCh.cfm?i=t_yanai19
http://bizplus.nikkei.co.jp/colm/colCh.cfm?i=t_yanai19a