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「戦争」ボードにふさわしい内容で「戦争」ボードにアップしているが、先日このボードで関連書き込みを行ったので、それを捕捉する意味合いもあってアップさせていただきます。
[参考書き込み]
『米英はベトナム&アフガニスタンと同じく“大敗北”を迎えます』
( http://www.asyura.com/2002/hasan14/msg/173.html )
『メディア的世間知を超えて米国政権の狙いを推察しましょう』
( http://www.asyura.com/2002/hasan14/msg/173.html )
『米英の中東戦略』
( http://www.asyura.com/2002/hasan14/msg/201.html )
『日本は経済を回復し経済活動力を維持するしかありません』
( http://www.asyura.com/2002/hasan14/msg/220.html )
※ 2番目以降の書き込みは、『米英はベトナム&アフガニスタンと同じく“大敗北”を迎えます』のレスになっており、他の投稿者とのやり取りになっていますので、流れのなかでご参照いただけば幸いです。
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昨日発売の『ニューズウィーク日本版9・25』に、「怪物を育てたアメリカの大罪」という特集記事がある。
その記事のなかに、イラン−イラク戦争時からの米国とイラクのただならぬ関係が書かれているので紹介する。
阿修羅サイトに集っている人にとって見れば、既知のことばかりで内容的に目新しいものがあるわけではないが、陰謀論ではなく『ニューズウィーク』誌の記事ということで取り上げた。
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「怪物を育てたアメリカの大罪」 − イラン封じ込めのため生物兵器の材料まで与えてフセインを支援した米外交の大きすぎるツケ −
『今から20年近く前の83年12月20日、ドナルド・ラムズフェルドはイラクのサダム・フセイン大統領と心からの握手を交わした。
70年代にアメリカの国防長官を務め、後に再び同じ職に就くことになるラムズフェルドは当時、ロナルド・レーガン大統領の特使としてイラクの首都バクダッドを訪れていた。
〈中略〉
フセインがテロリストを支援し、核兵器を製造しようとしていることを、ラムズフェルドをはじめとするアメリカの外交関係者の大半は承知していた。だがレーガン政権は、79年に起きたイラン革命が中東に輸出され、油田が革命派の手に落ちることを恐れた。「敵の敵は味方」の論理から、イラン・イラク戦争でアメリカは、イラクに味方した。
ラムズフェルドとフセインの会談は、重大な結果をもたらした。88年にイランと停戦するまでの約5年間、アメリカは軍事情報の提供や経済援助でイラクを支援。軍事物資を秘密裏に提供しさえした。
アメリカの外交関係者が「昨日の友」の失脚を願うのは、別に珍しいことではない。あのソ連も第2次世界大戦中は、共にヒトラーと戦う盟友だった。
それでも、ラムズフェルドとフセインの握手は、「今日の友」が明日は致命的な脅威になりかねないということを思い知らせられるエピソードだ。
ジョージ・W・ブッシュ大統領は、フセイン失脚後のイラク情勢について検討する以前に、よく考えてみるべきだ。過去3代の大統領はなぜこれほど長い間、権力の座にいるフセインをそのままにしておいたのかということを。
アメリカの政治家や政府関係者が下した決断の多くは、当時は妥当に思われた。だが、今となっては耳を疑うような話もある。80年代の大半を通じ、生物兵器の原材料になりかねない細菌をイラクが輸入するのを、アメリカは黙認していたのだ。
〈中略〉
冷戦時代にアメリカは、ソ連との対抗上、フセインに接近。また、過激なイスラム教シーア派が支配するイランとの戦争を歓迎した。
欧米は長年、公式、非公式にイラク支援を続けた。フセインが殺人兵器を製造し、独裁体制を確立する時間を与えたのだ。フセイン政権が崩壊すれば波紋は中東全体に広がり、新たな中東戦争の引き金になりかねないとの懸念から、イラクに手出しができなかったという面もある。
現ブッシュ政権はようやく、そんな呪縛を断ち切ろうとしている。政権内の開戦派は、フセイン政権が崩壊すれば米軍は解放者として歓迎され、独裁政治に変わって民主主義が花開くと楽観的だ。だが、イラク攻撃が反米感情をあおり、親米的なアラブ諸国がイスラム過激派に倒されることを予想する向きもある。
どちらも極論だろう。最大の懸念は、フセインに代わって新たな独裁者が現れることだ。フセインの後継者がアメリカに友好的だったり、大量破壊兵器の開発中止を約束する保証はない。
〈中略〉
82年当時、イラン・イラク戦争の戦況はイラン優勢で進んでいた。83年のラムズフェルドのイラク訪問後、米政府はイラン軍の配備状況を示す衛星写真をフセインに提供するようになった。
公文書によれば、アメリカは戦車などの兵器類をイラクに「供与」するようひそかに手配した可能性もある。アメリカの戦車をエジプトに送り、エジプトの戦車をイラクに送る、といった具合だ。
レーガン政権は国防総省内の一部の反対を押し切り、イラクが軍事転用可能な資材を米企業から購入することを認めた。コンピュータのデータベースソフト、ヘリコプター、偵察用のテレビカメラ、化学分析装置−−。
だが驚くべきは、相当量にのぼる細菌類の輸出だろう。元米政府関係者によれば、炭疽菌などの生物兵器を製造できる培養基も輸出されたという。
フセインがイラン軍に対して化学兵器を使っていたことは、衛星写真を見ればほぼ明らかだ。だが、88年、フセインがマスタードガスやサリンといった神経ガスで国内のクルド人を攻撃した際、レーガン政権が最初に「犯人」として非難したのはイランだった(後に議会民主党の反発を受けて、イラク側の仕業だと認めた)
〈中略〉
87年、イラク軍機のミサイルがペルシャ湾内で米フリゲート艦スタークに命中したときも、米政府は「誤爆」だとして不問に付した。そればかりか、ペルシャ湾における戦闘を激化させているとして、イランを非難したのだ。
その後、アメリカのイラクびいきはあからさまになった。米軍はイランの油田基地を破壊し、艦船を攻撃。アメリカの介入に恐れをなしたイランは、やがて停戦を受け入れる。88年に込め海軍のイージス艦が誤ってイラン航空機を撃墜し、民間人290人が死亡した事件から数週間後のことだ。
〈中略〉
父ブッシュの政権内にも議会にも、フセインは「扱いにくいが利用価値のある独裁者」だとみる向きは存在した。国務省は90年8月にフセインがクウェートに侵攻する瞬間まで、あいまいな態度を取り続けた。
〈中略〉
中東におけるアメリカの同盟国は、「フセイン後」のイラクが分裂し、中東を混乱に陥れることを恐れていた。イラク南部のシーア派とイランのシーア派が手を結んでサウジアラビアとの国境を脅かすかもしれないし、北部ではクルド人が分離独立をめざしていた。〈中略〉
湾岸戦争後、父ブッシュの政権はフセインの邪悪さから目を背けるようになった。
国防総省当局者は、フセインを戦争犯罪で起訴する際にそなえ、主に捕虜の非人道的な扱いに関する証拠を集めた。だが、この資料は、同省高官によって極秘とされた。
〈中略〉
95年にCIA(米中央情報局)が、フセインに対するクルド人の蜂起計画を支援した際には、軌道に乗り始めたころに政府か中止を命じられたと、元CIA工作員のロバート・ベアーは言う。
その理由は今もわかっていない。
〈中略〉
政府高官が本誌に語ったところによると、ブッシュ政権にはフセイン後に別の独裁者を担ぐ気はない。ブッシュは新生イラクを、民主主義に基づく法治国家にしたいと明言している。
もっとも、それを実現する道は誰にも見えていない。ブッシュの側近は、イラク国民自身が専制政治への逆戻りに抵抗することを期待している。だが別の当局者が言うように、アメリカが本腰を入れて関与しないかぎりイラクの民主化は不可能だろう。
イラクを生まれ変わらせるためのコストがどれくらいで、誰がそれを負担するのか。治安維持に必要な兵力も不明だし、駐留期間もわかっていない。
〈後略〉
』