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17日の日朝首脳会談の席上に金正日(キムジョンイル)総書記の側近として姿をみせた北朝鮮の姜錫柱(カンソクチュ)第1外務次官は、94年の米朝枠組み合意(ジュネーブ合意)を成功させた北朝鮮外交の「切り札」といわれる人物だ。再開が決まった日朝国交正常化交渉で、姜第1次官が前面に出れば、日本にとって極めて厳しい交渉相手となる。
93年、北朝鮮の核開発疑惑を受け、米国は北朝鮮に対する武力行使を検討した。その「一触即発」の雰囲気の中、米朝が初めて本格的対話に乗り出した時、姜第1次官は北朝鮮代表として初めて国際舞台に立った。
当時を知る米国の消息筋などによると、姜第1次官の交渉の特徴は粘りにあった。
姜第1次官は、当時のガルーチ米代表を相手に、北朝鮮の核開発は平和目的であるとの主張を延々と繰り返した。しかし、それを証明する国際原子力機関(IAEA)の査察受け入れについては徹底的に拒絶した。
米国側代表団が怒って席を立とうとすると、休憩時間まで使って米国代表団を説得し交渉を継続した。
また、交渉で一定の妥協が成立すると、最終合意の前に「本国の承認が必要」と主張し、会談の引き伸ばしを図った。その結果、「本国の承認が得られない」などの理由で妥協内容を破棄。交渉相手の手の内を探り出す、巧妙な交渉戦術を繰り返した。
そうした交渉を重ねて、94年の米朝枠組み合意を締結。この合意で、完成するかどうか分からない独自の核開発を放棄する「代償」として、米国主導で設立された国際事業体・朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)による軽水炉2基の提供と、軽水炉完成まで米国から毎年50万トンの重油の提供を受ける約束を取り付けた。
もちろん、こうした巧みな交渉はすべて、金正日総書記から直接指示を受けて行ったとの見方もできる。北朝鮮の支配体制では、対米交渉などの重要外交問題について最終決断が可能な人物は、金総書記1人しかいないからだ。しかし、姜第1次官が米朝交渉で、その外交手腕を認められた「側近中の側近」であることは間違いない。
その後、姜第1次官は、北朝鮮外交の事実上の責任者となり、重要な外交交渉の席には必ず姿を見せるようになった。
国交正常化交渉が再開されれば、日本政府は、米朝交渉で外交実績を誇る、姜第1次官を相手に植民地支配の補償など、いわゆる「過去の清算」問題を話し合うことになる。日本政府が北朝鮮政策をめぐる日米韓3国の協調体制を逸脱したり、北朝鮮の大量破壊兵器開発に厳しい目を向ける米国との関係を損なうような合意を迫られる危険性も出てこよう。【大澤文護】
[毎日新聞9月17日] ( 2002-09-17-19:14 )