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[9月13日]
住信基礎研究所・主席研究員の伊藤洋一さんは、最近の東京株式市場の出来高の減少には「新証券税制不安」があるとの見方がもっぱらだとして、こう語る。「株価が下がっても、買いが入らなければ株価は下がる。下がればもっと誰も投資しない。待っているのは、そしてすでにその醜い顔を出し始めたのは『市場の死』だ」
<株式投資がやりにくい環境が着々と作られている>
ではなぜ、「出来高」さえ出てこないのか。伊藤さんは、「株式への投資がやりにくい環境が着々と作られているからだ」と指摘する。 その半面で、無税化など国債購入の容易さは進められている。経済の持続的な富を生み出すのは民間の経済活動であるにも拘わらず、「資金が民間ではなく国庫に流れるシステムが作られつつある」と言う。新証券税制の運用見直しを検討するとの報道があるが、「問題は、なぜこんなことが最初から分からなかった
か、だ」と言う。多くの市場関係者はこう考えている。「制度を作った人間が市場を分かっていないのだから・・・」と。「私もそう思う」と、伊藤さん。「巨大な官僚組織に全くいないというわけではない。いることはいるのだが、その割合が小さいし、官僚組織のなかで『市場』というものを育む考え方が主流になっていないからだ」
<日本の経済や市場から失われた”弾性”>
しかし、「市場の死」は、取りも直さず「日本経済の死」の前兆かもしれない。株価が9000円を割った先週、市場関係者として伊藤さんが一番感じたことは、「日本の経済や市場から失われた弾性(elasticity)」だと言う。あって当然と思う反発力が市場にない。9000円割れても意外感がなく、一種のあきらめの空気が漂う。「まるで日本では経済も市場も『脚気(かっけ)』になった
ようだ」。脚気のような経済や市場を引きずることは、「活力なき経済」を意味する。「それは大多数の国民にとって貧困化を意味する。弾性とは、すなわち活力、反発する力を意味する。それがなければ、経済が落ち込み始めたときに歯止めがきかなくなる。それも、多くの国民が望むことではないだろう」。今の日本市場からは反発力どころか、「市場らしさ」さえ消えていると
言う。「あの毎日の少ない出来高にこそ驚愕し、脅威と感じるべきだ」。そして、こう締め括る。「願わくば、富を生み出す市場や民間経済のワーキングを妨害しないシステムを早急に組み立てて欲しいものだ。容喙(ようかい)より、できうる限り自由な市場のワーキングを守り、育むことの方が、よほど経済を強くできると思う。未だにこんな議論をしているのは、時宜を逸した気
もするが、それでもやらないよりましだ」