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(回答先: Re: 昔から日本には経済的自立なんてないカモ 投稿者 うん 日時 2002 年 10 月 03 日 20:54:06)
戦後の日本は、政治は間違いなく自立してはいなかったが、経済は曲がりなりにも自立し、自立した経済の基盤として国家運営も行われてきた。
戦後の日本が、対米依存のなかで復興・高度成長・成熟期という歴史過程を歩んできたことは間違いないが、高度成長期まで外資の直接投資は規制され、現在でもGDPに占める外資の割合は微々たるものである。(シティバンクや新生銀行といっても、それらが金融に占める割合は産業以上に微々たるものである)
また、自動車業界では実質外資となっている会社が数社あるが、「近代経済システム」では、個別産業資本の外資化とメガバンクの外資化は量の比較ができないほどの違いがある。
財がどのような理念と論理で生産されるかということと、通貨がどのような理念と論理で流通(貸し出し)されるかは、日本経済に与える影響度がまったく違うのである。
産業資本がすべて日本企業だとしても、銀行のほとんどが外資であれば、トヨタなど例外的産業資本を除いて、その経営=生殺与奪が外資である銀行の手に握られることになる。
最も重要なことは、産業がある理念や論理で支配されれば、国家が否応なく政策を変えなければならなくなることである。
産業活動に国家運営の基礎を持つ近代国家は、産業の“資本の論理”に従った政策を採らざるを得ないのである。
産業を支配できる銀行が外資化されることによって、日本という国の在り方を銀行の“理念”と論理が規定するようになる。
最近は揺らいでいるが、曲がりなりにも国民生活の安定や向上を第一義とした従来的政策を採ることができなくなるであろう。
金融ビッグバンを行った日本は、いいも悪いも、国家機構と銀行のあいだの“人的関係性”のなかで様々な金融問題を“調整”してきた。
金融活動の主要部分が外資に担われるようになれば、法律だけが規制という世界に変わることになる。
経済が自立性を失えば、否応なく、政治の自立性もより失われる。
外交や経済政策だけではなく、民生政策まで自立性を失うことになるのである。