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「もし仮に、2003年4月1日に予定されていた“ペイオフ解禁”が延期されることになっていたら、柳沢伯夫金融担当相はその責任をとって辞任に追い込まれていたことは間違いないだろう。その場合には、“辞任”というよりも“更迭”と言った方が適当だろう」
官邸中枢スタッフがこう断言してみせる。
このコメントから判断して、国会の会期末(7月31日)を控え一連のペイオフ問題に関して柳沢金融担当相と金融庁はギリギリのところまで追い詰められていた、と言っていいだろう。
「そもそも、“ペイオフ解禁”を実施するにあたって一部例外規定を設ける、というプランは、小泉純一郎首相がそもそも発案したものなのです。具体的には、われわれ官邸スタッフが、ペイオフ問題に関する各種論文や資料を集め首相に報告するのと同時に、この問題に関して色々な意見を持つ人たちを積極的に首相に引き合わせた。そうした中で、小泉首相が最終的に判断したものなのです」(前述の官邸中枢スタッフ)
去る7月30日、小泉首相は官邸に柳沢金融担当相と「日本型金融システムと行政の将来ビジョン懇談会」の蝋山昌一座長を呼び、「決済システムが危うくなるようなことがあってはならない。そのための方策を早急に検討し、必要な改革案をまとめてほしい」という指示を出した。
結局のところ、この“首相指示”が決め手となってペイオフ完全解禁は予定通り来年4月1日から実施されるものの、決済性預金の全額保護という一部例外規定が盛り込まれることになったのである。
もっとも、この7月30日に行われた“首相指示”は単なるセレモニーに過ぎなかった、といえるだろう。
「実は、この7月30日には、小泉首相としては、柳沢、蝋山両氏以外にも、ペイオフ完全解禁の延期を主張する自民党デフレ対策特命委員会の相沢英之委員長も官邸に呼ぶつもりだったのです。ところが相沢委員長は大阪に出張中でそれはかなわなかったのです。つまり、こうした一連のスケジュール調整をする段階で、小泉首相のハラは既に固まっていた、と言っていいでしょう」(前述の官邸中枢スタッフ)
とはいえ、金融庁サイドとしては、決済性預金については全額保護すべしとする“小泉案”に当初から全面的に賛成だったわけではない。むしろ、難色を示していたのが実情だ。
「まさに着々と外堀を埋められていった、というのが本音だ。官邸の秘書連中−そしてそのバックにいる財務省にうまくやられた、というのがわれわれの率直な感想だ」
金融庁幹部がこう言ってみせる。
つまり、このペイオフ問題に関する限り、金融庁の“全面敗北”と見るべきだろう。
最後の最後まで“徹底抗戦”を貫いてきた柳沢担当相−金融庁ラインにとって、7月30日の“首相指示”はまさに最後通告となりかねない要素をはらんでいた。
「首相との面談当日になって、ようやく柳沢担当相と金融庁は“首相指示”を受け入れる決断をするに至ったのです。そうでなければ、このペイオフ問題で金融庁は完全に孤立しかねない状況まで追い込まれていたのです」(金融庁幹部)
さて、このペイオフ完全解禁の一部見直しは吉と出るのか、それとも凶と出るのであろうか。