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(回答先: Re: 諦観と見られない事を希望しつつ 投稿者 如往 日時 2002 年 8 月 24 日 02:51:23)
再び示唆に富むご助言を戴き、有難うございます。
>先ず、「匿名希望」氏が、その教化に癖癖した西部邁のように大衆から相当な距離を置いてしまっているのではないことは、これまでの紙背に見え隠れしていると感じています。
そのように努めています。そうでなければ、たちまちアイデンティティ・クライシスに直面します。そうした虚無感に陥った者がノーパンしゃぶしゃぶ官僚へと堕して行くのです。このサイトへお邪魔して、心有る人々はいまだ官僚に一縷の希望を託しているのだということが分かり、意を強くすると共に責任の重さを痛感致しました。根源的な官僚制批判があるかと思いましたが(少し期待してもいましたが)、ほとんどの皆さんは憂国の志士とも呼ぶべき方々で、物事の優先順位というものを弁えておられました。
西部邁氏の主要な著作には全て目を通しているつもりですが、氏は我が国では珍しく抽象的思考の昇華ができる思想家だと感じます。思考の純化が行き届き過ぎて味わいの素となる夾雑物が濾過されているため、退屈だと感じる人も多いかも知れませんが。
>ところで、我々の先達と私達は、60年時の問題の当事者としては余りに政治的に未熟であったこと、さらに70年時の問題を政治問題に転化できずにローカルな社会問題に矮小化させてしまったことの咎、未だにそれらの総括をできずに今日に至っています。勿論、とりわけ40年代の問題はなん人も総括し得ずにその当事者の数多は疾うに鬼籍に入ってしまっています。
それぞれの人々がそれぞれの時代背景と自問するテーマを背負って生きて行き、そして死んで行くのですね。貴殿の記述内容の深みの奥にあるものは何だろうと考えていましたが、ご自身の経験を元にした叡智であることがようやく分かりました。 高度複雑化した現代社会において、統治者だの精神的エリートだのと力んだところで、私なども所詮は一介のテクノクラートに過ぎません。それでも社会の歯車を回すためのボタンの所在と押し方程度のことは分かっているつもりで、自らの一生を振り返って悔いることのないよう職務をまっとうしたいと考えています。
>リアル・ポリティクスの実際において人間的資質が暫し埒外に置かれるのは仕方がないことですが、必要以上の言語操作重視はそれこそ現実との乖離を招来し兼ねぬ故、厳に慎むべきでありましょう。
言語操作能力は、森羅万象の内の人知を以って把握し得る範囲を規定します。これを盲信するということは即ち、現時点では伺い知れない未知の領域を無視するという極めて野蛮な行為であります。その限界については常に自戒が必要と心得ています。
>私が自立のシミュレーションの開発を強調するのは、受け手の様子や成長を窺がっているのではなく、受け手にたいし受けるに足るだけの素養を醸成することが重要で、やがてそれが広汎に問題解決の活力となると信じてやまないからです。
私も今次の教育改革の内容については疑問を抱いている者の一人ですが、皮肉なことに上記で貴殿が仰っていること丸々そのままを文科省は今回の改革の目的として掲げています。私に言わせれば、これだけの大変革だというのに内外での議論が全く練れていません。遠からず全面的見直しを迫られるでしょう。
>氏が加えていく個々の論評の中から表題の背後の目次にどんな項目があるか穿とうする当為はなかなかしんどいものです。
全くもって恐れ入ります。国民各層の過半が貴殿のような理解能力の持ち主であれば、即座に全面開示致すところです。
>ハイエクの見識の明晰さ確かさとケインズにたいする批判は時代限定的には非常に的を射たものでしたが、それに反比例するかのようにそのポリティクスとコンテンツと云えば全く見るべきものがありませんでした
ハイエクについては、その思想内容からして具体的なポリティクスや政策的コンテンツを持ちにくいものと言えるでしょう。ケインズについては、ケインズそのものの限界よりも、その後雨後の筍のごとく発生したケインジアン達のほうに問題があったのではないでしょうか。
>氏は、ASYURAの別の稿でも現代人の事物を相対化するskillの拙さ、あるいはskillらしきもの全くを持たないことを慨嘆されていると見受けられました。氏が、完全に充足的でないまでも外化を試行していく状況に置かれていることは、名誉でもあり相当な責任を伴うものでもありましょう。なればこそ、自己撞着的で安易な内化へと短絡せぬよう努められますよう胆に銘じて欲しく思います。
この点はあらゆる場面で意思決定を行うに際して、大変思い課題だと感じます。さしあたっては、常に念頭に置いておきます、とお答えします。