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●遠のく衆院解散・総選挙
小泉純一郎首相は13日、大阪での講演で、「任期まで不信任が可決しなければ総理大臣ということですから、今焦って解散を考える必要はない」と述べ、当面衆院の解散は予定していないことを明らかにした。首相は「いかに改革路線を軌道に乗せるかというのが最優先課題」と、「解散より改革」との考えを強調。さらに「できれば解散しないで、改革を実施に移したい。それが私に与えられた最大の仕事」と述べた。首相にしてみれば、今国会最大の焦点だった郵政関連法案が成立の運びとなり、こうした発言につながったものとみられる。その意味では小泉首相の解散の「ブラフ(脅し)」はまんまと成功したことになる。しかし、いつもいつもこの脅しが百戦錬磨の国会議員に通用するとは限らないことは言う間でもない。
●相似形の小泉首相と田中知事
それにしても小泉首相と今何かと話題の田中康夫長野県知事は、良くも悪くもよく似ている。その第1は、パフォーマンスに長けていること。特にテレビを利用してのパフォーマンスはいずれもプロ並みだ。逆に言えば、テレビに映っていない時はそれほど仕事熱心なふうに見えないところがたまに傷。悪く言えば、両者とも「テレビ芸人的政治家」とでも言えようか。第2は、多弁だが言葉が軽いこと。首相は何かあると「感動した」と言うだけで、語彙が少ない。逆に田中知事はさすがに作家出身だけに語彙は豊富だが、横文字がぽんぽん出てくる割には何を言っているのかよく分からない。自らの施策について国民や県民に説明不足なのは両者に共通している大きな欠点だ。
第3に、一匹狼でブレーンがいない。同じ一橋大学出身で作家の石原慎太郎東京都知事が当初危惧(ぐ)された見方とは異なり、議会や都の役人と割合うまくやっているのは1つにブレーンの存在が大きい。小泉、田中両氏ともブレーンをうまく活用すればもっと効果的に仕事ができる。それをたった1人でやろうとすれから何も進まないし、国民や県民にはスタンドプレーにしか映らない。第4というかこれが最も特徴的かも知れないが、両者とも議会を挑発、対立を煽ることで自らの存在を際立たせる手法をとっていること。その結果、目指す「改革」がほとんど進んでいないのが致命的だ。日本は独裁国家ではないのだから、議会や役人の力も借りながら物事を進めるのは至極当然のこと。それらをすべて「敵対的」に考えるのは一見格好いいが、政治家としては極めて未熟な手法だ。結果を出せない政治家はどんなに格好良くとも無能でしかない。
●官僚の発想を超えた「知事連合」を
「構造改革は地方から」をうたい文句に三重、宮城、岩手、和歌山、福岡の5県知事が「地方分権研究会」という名の「知事連合」を発足させ、話題を呼んでいる。国会議員と異なり、都道府県知事の一番の強みは自らのフィールド(現場)を持っていること。例えば高速道路の問題でも本当の建設現場は地方にある。従って国の予算を補助金の形で中央官庁が地方自治体に与えるのではなく、最初から予算を地方に配分し使途も任せれば、高速道路が本当に地元に必要かなどの問題はほとんど解決する。こうした「中央から地方へ」の流れが「知事連合」の結成によってさらに加速する可能性が高い。
ただ一部マスコミが「地方からの反乱」とか、将来は「新党結成」も、果ては米国のようにこの中から「首相候補を」というのはやや先走り。その可能性を秘めた知事も今後現れるかも知れない。しかし、少なくともこの5県知事は三重の北川正恭知事を除くといずれも中央官庁の官僚であったところに限界も感ずる。彼らは「官僚のやり口を熟知している」と、そのメリットを強調するが、それはまた、官僚の発想の中でしか自分の仕事ができないということにもつながる。この枠を突き抜けて初めて「中央」を超えた政治が地方に完成する。
【外務省解体論】
●“親中派”野中氏の主張は単なる腹いせ
政府開発援助(ODA)の在り方をめぐって外務省に対する批判が噴出、同省の経済協力局長を経済産業省から持ってくるべきだとか、果ては外務省解体論まで飛び出すなど“外務省たたき”は一種異常な状態に陥っている。同省は昨年の外交機密(報賞)費の使い込み事件に始まって、田中真紀子前外相とのさまざまなトラブル、鈴木宗男議員による外交政策への不当介入疑惑、中国・瀋陽での日本総領事館への亡命者駆け込み事件―と幾重もの大波に洗われた。しかし外務省解体論に至っては単なる感情論としか思えず、日本外交はどうあるべきか、何が真に国益に沿うのかを今こそ冷静に考えてみる必要がある。
自民党の野中広務元幹事長は10日夜、都内で開かれた橋本龍太郎元首相の快気祝いを名目とした党行革推進本部幹部らとの会合で、「傷つかなかった外務省で不祥事が続発した。この際、儀典関係だけ残し、後(の機能)は、経産省や防衛庁などにばらしてしまえばいい」などと述べ、「外務省解体論」をぶち上げた。同氏の解体論は半ば持論だが、腹心の鈴木宗男議員が同省のリークなどによって東京地検に逮捕されたことへの腹いせが多分に含まれているものとみられる。
確かに自民党の外務省組織改革案には各局をばらばらにし、ODAなどを所管する経済協力局は外庁として国際協力庁を創設するなどの構想が盛り込まれている。しかし、軍事力は使えない日本外交の「切り札」とも言うべき経済協力の在り方には、日本の国家戦略をどうするかという観点も交えたよほど慎重な検討が必要だ。そうしたグランドデザインもなく、単に外務省から権限を取り上げさえすればいいという、半ばバッシングとして取られる種類の問題ではなかろう。まして中国に対してはほとんどイエスマンといっていい親中派の野中氏である。外務省弱体化につながる解体論をそのまま受け取るわけにはいかない。
●ODA改革に逆行しかねない経協局長人事
一方、ODAを所管する経協局長に川口順子外相の古巣・経産省(旧通産省)から人を持ってくるという外相自身の計画が明らかになり、外務省内で猛烈な抵抗に遭っている。確かに先に公表された各種の同省改革案の中には、幹部ポストへの外部からの人材導入がうたわれているものが多く、元NHKニュースキャスターの高島肇久氏の外務報道官への起用など、実際に動き始めた人事も多い。
しかし厳正中立の観点から、経協局長に全く部外の民間人を持ってくるならともかく、何かと企業との関係が深い官庁からの起用というのでは、本来の目的である「ODA改革」に逆行する可能性がある。経産省も痛くない腹を探られるだけだろう。それでもこの人事を強行した場合、外務省幹部の引責辞任を招くなど、同省が大混乱となる懸念がある。そうなれば外相が省内で支持を得つつ仕事をすることは最早困難となろう。こうした状況は、外務省立て直しのため乗り込んできた川口外相にとって、決して望ましい状態ではあるまい。同省の組織防衛に与するのかどうかというような卑小な次元ではなく、日本外交本来の在り方を考える意味から、もっと慎重に扱われてしかるべき問題だ。
それでもなお外相がこの人事に固執すれば、同相は外務省に送り込まれた「トロイの木馬」との非難は避けられまい。日本の外交力が低下、混乱して喜ぶ国はいくらでもある。外務省が幾多の問題を乗り越え再出発するに当たって、その足元が崩されることは決して日本外交の再建と強化にはつながらないだろう。
(政治アナリスト 北 光一)