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(回答先: 米株式の当面の底値を考える。+反論 投稿者 Ddog 日時 2002 年 7 月 02 日 20:23:28)
● 株価について
これまでも数回書き込んでいますが、株価については、原則的に、他の投資対象から得られる収益と比較して、利子率に相当する年間配当金/取得株価×100がどうなのかで決まるものだと考えています。
将来の株価予測も、根本的には、配当率が高くなるのか安くなるのかという見通しで行われる、実際の将来株価も、そのような基準に従った“適正”価格に収斂されていくものだと考えています。
(この理屈から言えば、マクロソフトの株価は0です)
そのような意味では、ご紹介のイールドレシオに近い見方です。
但し、値は1以上が“適正”だと思っています。それは、個別企業の株式よりも、政府の債務証書のほうが信認性が高いからです。ある企業が配当金を支払う確実性よりも、政府が利息を支払う確実性のほうが高く、ある企業の株式が紙屑同然になる可能性よりも、政府の債務証書が紙屑同然になる可能性のほうが低いと、一般的には考えられるからです。
PERについては、“通常”の株式取引で、買いや売りのタイミングを知るための指標だと考えています。
強気市場であれば、全体のPERが大きくなっていくので、その大きくなったPERと個別企業のPERを比較して、より小さければ買い、より大きければ売りと判断しながら動けます。
弱気市場であれば、全体のPERが小さくなっていくので、その小さくなったPERと個別企業のPERを比較して動けます。
株価に関するいちばんの問題は、まったくと言っていいほど、イールドレシオ>1という理屈で動いているのではなく、保有株式の価格そのものが上がるか下がるかという理屈で動いているという現実です。
また、強気市場は、買いが優勢すなわち現金よりも株式に対する需要が大きい状態で、弱気市場は売りが優勢すなわち株式よりも現金に対する需要が大きい状態です。
本質的に見れば、価値は現金>株式です。株式投資も、現金を最大化するために行われているものです。
強気市場ではPERやイールドレシオ(1未満でも)が支えになりますが、本当の“弱気市場”では、それらが従来的な意味での支えではなくなってしまいます。
イールドレシオは1以上であれば、それでも支えですが、企業業績が悪化していれば配当が行われるかどうか見通しが付きにくくなります。
それに輪をかけるように、“不正経理”が横行していると思えてくると、エンロンやワールドコムのように、株券が紙屑同然になる心配までしなければなりません。
このように、本当の“弱気市場”では、従来の指標が意味を持たなくなります。
とにかく、保有株式を究極の目的である貨幣にできるだけ多く転換したいと考える人が増えていきます。
米国株式市場で厄介なのは、「“不正経理”が行われた」という“不正=虚偽情報”が流れる問題です。
ワールドコムについてはわかりませんが、エンロンはそのような「破綻詐欺」だと考えています。
PERもイールドレシオも通常のような指標性を持たなくなることで、株式市場は崩壊していきます。
「7月中旬から4−6月期決算発表があります。これが7四半期ぶりの増益見込みらしい。」というように、個別企業の業績動向は十分に見守る必要はあるとは思います。
銘柄数が少ないダウ平均よりもS&P500の動向に注意を払った方がいいとも思います。
● 外国為替レート
>私は、長期的にはその通貨国の総合国力を示すモノサシと考えるべきと、考えます。
>世界同時デフレ不況の場合、日本はすでに不況なので影響が相対的に少ないとの主張
>にはチョッと賛同できません、世界の不況は、日本経済への直撃は避けきれず、いず
>れドル高円安に変化すると考えます。
長期的には、国際商品の生産性=労働価値で決まると考えています。(詳細は近いうちに別途アップします)
“総合国力”は、国際商品の生産性比較で規定される価値よりも高くなるという役割は果たしても、ベースにはならないと考えています。(1ドル=100円が妥当なのに、1ドル=120円で保つ)
また、国際商品の生産性比較で規定される価値を超えた自国通貨の価値維持は、産業力を低下させ、国際商品の生産性をさらに低下させることになります。得をするのは、金融資本だけです。
この意味で、そのような国民経済は、長期的には自国通貨安に向かうことになります。
(1ドル=90円が妥当なのに、1ドル=110円になるといった)
「世界同時デフレ不況の場合、日本はすでに不況なので影響が相対的に少ないとの主張」は、私の主張を指しているのかどうかわかりませんが、私は、“日本経済は世界最高度の近代経済国家(国際商品の労働価値がもっとも高い)だから不況克服力が最も高い”という主張であって、不況なので不況の影響を相対的に少なく受けるという主張ではありません。