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救いのないタイトルにした非礼を中国(政府・国民)に詫びたい。
阿修羅サイトでも中国関連の書き込みをいろいろ行ってきたので、“反中国”の立場にあるものではないことはご理解いただけると思う。
中国政府が、「9・11空爆テロ」を契機にしたブッシュ政権の「反テロ世界戦争」を容認するにとどまらず、それを好機としてシンチアンウイグル自治区の“独立派掃討作戦”に乗り出したことには唖然とし、愚策を採る政府に先行きを危惧したことは事実だが...。
■ 近代史の縮図としての中国
インドと並んで、「近代経済システム」の軍事力を背景とした経済権益の対象になった大国中国は、近代国家的統一過程から現在まで、異なる近代価値観に基づく近代史を地域で織りなしてきたと言える。
「近代経済システム」とその政治形態である近代国家が持つパワーがどれほど強いかは、世界のほとんどを経済支配の対象にしたということのみならず、政治的経済的支配を受けた地域や国家が、対抗策として“近代主義”や“近代国家”を選択したという歴史的事実に如実に現れている。
イスラム圏の一部を除けば、国家統治レベルでは、それぞれの地域や国家が持っていた価値観・軍事機構を含む統治形態・経済システムを放棄し、近代主義に基づくそれらに移行しようとした。
欧米諸国に対抗して独立を維持したり回復するために、欧米諸国が基盤にしていた制度や価値観を取り込むというパラドックスである。
インドは近代主義に立脚する国民会議派が独立運動の主力を担い50年に渡って政権を維持した。アフリカ諸国の多くも、マルクス主義という近代主義も含む西欧源泉の価値観で独立運動を戦い、独立後も独裁制を含む近代制度に基づいて国家を統治している。
それらには欧米諸国の巧妙な情報操作や工作という側面もあるが、やはり、それらの地域や国家が欧米諸国から受けた衝撃の強さを物語るものと考えた方がいいだろう。
日本もそうだったが、西欧に打ち勝つためには、西欧の価値観や制度を採り入れなければダメだと“悟った”のである。
中国(清)は、英国を中心とした欧米諸国及び日本の軍事力を背景にした経済支配強化のなかで、近代主義に基づく辛亥革命を経て、近代的統一国家の樹立を目指した。
「日中戦争」を「太平洋戦争」という間接的勝利で終結させ、4年間の内戦を経て、マルクス主義的価値観を持つ共産党が大陸中国を統治するようになった。
外モンゴルを除く清時代の勢力範囲を国境とするとともに、“解放”を名目にチベットに攻め込み自治区として国家内に取り込んだ。(主導した政府も解放軍兵士も、よかれと思ってチベットに侵攻したことは間違いないだろう)
日本や欧米諸国がもたらした苛酷な状況を脇に置かさせてもらうと、中国は、欧州と同じように、強固な政治軍事基盤を築き、市場の拡大的統一を実現するための近代国家を形成し、“文明教化”を名目に外部共同体(国家)の政治支配を正当化したとも言えるだろう。(経済権益のための名目であることがわかっている人もいただろうが、宣教師や兵士などのなかには良きことと思っていた人もいるだろう)
このようなことを書いてきたのは、中国の現状である「沿海部と内陸部の経済格差」が、世界における「南北問題」と重ね合い、天然資源が豊富なシンチアンウイグル自治区に対する支配強化が「欧米諸国による資源支配」とダブって見えるからである。
“新生”中国は、50年という歴史で、200年以上かけて形成された世界構造と類似的な構造を築いてきたのではないだろうか。
中国の現状は近代世界の縮図であるという視点が、共産党支配であるということより、中国経済のゆくえを考えるときに重要な意味を持っていると考えている。
■ 中国が自滅する道
中国政府が堅持している“経済成長第一主義”と中国政府が理念としている“国家的統一”が両立で維持できるのかどうかという問題である。
中国国内には、カンボジアの農村と日本の大都会が同居している。
米国や欧州諸国でも、贅沢で優雅な生活を営む金持ちと日々の生活にあくせくする貧乏人が同居しているが、制度としては貧乏人も近代的生活が営めるセーフティネットが張られている。
中国政府も沿海部と内陸部の経済格差解消が最重点テーマだと自覚しているが、沿海部が4億人で内陸部は9億人という構造では格差を解消するのは容易ではない。
繁栄する沿海部といっても、実質的に日本人より豊かな生活をしている勤労者はごくわずかである。(消費財や不動産の価格差から、中国で家計収入が200万円(15万元)あれば、日本で家計収入が1,000万円以上の生活が営める)
さらに危険な問題は、「国営企業のリストラ」である。
現在なおGDPの70%ほどを占めていると言われている国営企業は、厖大な赤字を抱えながら、国家援助と銀行融資を受けてしのいできた。
中国の国営企業は、まさにミニ国家であり、労働の場であるだけでなく、住宅・食事・託児・学校などほとんど生活条件を負担してきた。
国営企業のこのような高負担=低生産性が、「改革開放」政策による私営企業や外資系企業の拡大によって露呈されるようになった。
「国営企業のリストラ」政策は、高負担をなくし、生産設備を“現代化”したり、株式を上場したりすることで、国営企業の競争力を高めようというものである。
高負担をなくすために、いわゆる福祉事業のカットにとどまらず、余剰人員の首切りまで実施した。(企業が数ヶ月間手当てを支給したり、地方政府が職業斡旋を行ったりしているが、再就職は思うように進んでいない)
中国の失業率は、都市部で8.5%、農村部で7.6%と見られているが、都市部労働力人口を1.5億人、農村部労働力人口を5億人と推定すれば、都市部で1千270万人、農村部で3千800万人、合計5千万人の失業者がいることになる。(ほぼ日本の就業人口に匹敵する)
これは、およそ1億人の生存が、失業手当・公的扶助・私的扶助によって支えられていることを意味する。
個別国営企業の生産性は“リストラ”で上昇したかもしれないが、国民経済総体で見れば、労働を伴わない人々への扶助が増大しているのである。
しかも、「国営企業のリストラ」は、現在のところ道半ばである。
中国の財政赤字は、公式発表では3%だが、実態は10%だと見られている。
国営企業の財務改善が競争力の確立につながり、かつての従業員規模まで雇用を拡大(生産量の大幅増加)できなければ、究極的には、国家財政の負担すなわち労働従事者の負担になる。労働従事者(企業を含む)に負担を求めなければ、裏付けのない人民元の増発でしのぐことになる。
中国政府が抱えている最大のジレンマは、国営企業の競争力確立というテーマと経済成長7%必達というテーマが持つ対立性である。
外資が中国に進出するといっても、野放図なものではなく、管理されたものである。管理のポイントは、国内既存企業の市場を侵食しないということである。
外資流入の理想のかたちは、生産した製品を全量輸出してくれる外資が進出してきて国営企業から吐き出された余剰人員を雇用し、外資から得た給与を中国籍企業が生産した製品の購入に向けてもらうというものである。
このサイクルであれば、生産設備の現代化を実現するための生産財輸入に振り向けられる外貨も蓄積でき、国営企業や私営企業の生産性も上昇する。
進出してきた外資が高い生産性で生産した商品を国内市場で販売すれば、既存中国籍企業は、売上を減少させたり、利益を減少させることになる。
外資は、得た利益のある割合を国外に持ち出す。これは、中国人の労働の一部が持ち出されることであり、「経済格差解消」や「過渡期扶助政策」の原資が減ることでもある。
ここが、戦後日本の経済成長と中国の経済成長の大きな違いである。
日本は、国際的借り入れに支えられていたとは言え、自国籍企業が経済成長を担った。そして、シャウプ税制と呼ばれる累進直接税重視の税制で、政府歳入の確実な増加も実現した。資本取引管理も厳重に行われたし、それがなかったとしても、経済が急速に拡大している状況では、企業も、利益(余剰資金)を生産性上昇(量的拡大や質的設備更新)のために投じていった。
中国政府は、外資の進出を促すために税的優遇まで行ってきた。進出してくる外資は、中国の発展が第一というより、自社の利益拡大が第一で事業を行っていると考えていいだろう。
中国政府は、経済成長のなかで生産性が上昇したにも限らず、人民元の対ドル価値を高めていない。これは、日本の「円安」志向と同じものだが、中国国民の労働成果を外国に安売りすることであり、ある段階で政策変更しなければ、経済成長を押しとどめる作用として働く。(中国経済の昨年秋からのデフレ傾向も、その影響を受けたものと思われる。生産性が上昇しているのに、国民経済の総需要がそれに見合って増加していないのである)
外資や一部私営企業の輸出で経済成長が支えられている現状では、「経済格差」を解消したくてもその原資が思うように獲得できない。
(人民元の価値を上昇させても、外資が、それを支払い給与の増加につねがるかどうか疑問である。輸出基地として考えている外資であれば、逆に、競争力維持のために給与を抑制する可能性が高い)
中国政府は、経済格差を解消するために「西部大開発」を推し進めようとしているが、その原資も外資に依存せざるを得ない状況だ。シンチアンウイグル自治区からのパイプライン敷設に関しては、日本勢が手を引き、シェルなどが投資するようである。(シンチアンウイグルの“特殊性”から言って、欧米系を巻き込んでおくのは得策かも知れないが...)
中国政府は、「先に富める者から富んでいき、それを全国に広げる」という戦略と宣伝を行ってきたが、外資を主力とした輸出拡大による経済成長では、沿海部それもそこの一部の人たちが豊かになるだけで、経済成長の恩恵を全土に広げることは難しいだろう。
中国政府がこのような見通しをもって経済政策を軌道修正しなければ、ベースとして存在する地域対立の上に、「沿海部と内陸部の対立」・「都市での階層間の対立」・「農村と都市の対立」が激化し、国家分裂の危機さえ迎えると予測する。
内陸部の失業者は、非合法に沿海部の大都市に流入し、穴蔵ならぬ公共アパートの狭い地下で生活しながら建設労働などに従事している。彼らは、繁栄を謳歌している一部の人たちの姿を遠目で見ているだけではなく、家政婦として生々しい生活ぶりまで見ている。
農村では、低所得でありながら、高負担にさいなまれている。
再就職先を確保してもらえると思っていた旧国営企業労働者の多くは、1年経っても失業したままである。
この間の経済政策を領導してきた江沢民指導部はこの秋には引退するようだが、その後を襲うと見られている胡錦涛副主席が、どのような舵取りを行うか見ものである。
13億の民のそこそこの生活を確保できなかったり、約束の豊かさが先行地域だけで終わるようなことがあれば、「みんながそこそこの生活をしていた時代のほうがずっとましだ」という声が高まってくるだろう。
しかし、経済的豊かさを享受している地域は、その既得権益を失ってもいいとは考えないだろう。(上海・北京・広州などの沿海部と台湾で新たな国家が生まれるということにでもなったら悲喜劇である)
チベット・シンチアンウイグル・内モンゴルのみならず、東北部でも不穏な動きが高まるだろう。
このときに、支配政党が共産党であることや軍事機構も含む地域対立という根っこの問題が浮かび上がってくると思われる。
豊かになった者から豊かになれていない者への“所得移転”がそれなりに行われなければ、国民経済総体が少しずつでも豊かになることはできない。
■ 中国は孤立に追い込まれるのか
中国は、WTO加盟も果たし、さらなる輸出拡大をめざしている。
中国が輸出を拡大するということは、他の国々が中国からの輸入を拡大しなければならないということである。
日本の高度成長期のように、先進諸国がそれなりの経済成長を遂げている条件であれば、ある国民経済の輸出拡大を受け入れることもできるが、ゼロ成長という条件であれば、中国からの輸入拡大は、その国民経済の生産活動を減少させるものである。
流通業者は国内生産でも輸入でも同じ粗利が得られるのであれば問題ないが、国内で生産されていた財の“代替”輸入は、生産活動の低下(失業者の増加や設備投資の減少)により、国民経済総体の縮小をもたらす。
そして、価格競争力で勝る中国からの輸出品に対抗しようとすれば、給与を抑制して生産性を上昇させなければならない。これは、その国民経済にデフレ圧力をもたらす。
大半は日本企業が生産した中国製品だが、中国からの製品輸入は、日本経済の大きなデフレ要因となっている。米国経済のデフレ傾向にも、中国製品が影響を及ぼしていると推測できる。
不勉強のために中国の経済成長に対する輸出の寄与率を知らないが、ここ10年、輸出額を4年でほぼ倍増という実績を続けていることから、輸出寄与率は相当高いと思われる。4年で2倍という年平均18%はともかく、年平均15%の輸出増加を続けなければ、目標の7%(正味は3〜4%だろう)は持続できないだろう。
中国の輸出製品生産性は今後も上昇していくと思われる。そして、輸出こそ経済成長の源泉と考えている中国政府は、人民元の対外価値を引き上げようとしないだろう。
これは、生産性の上昇がそのまま価格低下につながった製品が世界中に輸出されることであり、先進諸国経済全体が日本と同じデフレの渦に巻き込まれることを意味する。
中国企業の割合は少なく、日本企業や欧米企業が中国で生産したものが大半であっても、輸入を受け止める国民は中国製と考える。
就業機会を確保している人たちは、同じ品質の製品が安く買えることを喜ぶだろうが、それらの輸入によって就業機会を失った人は、安くなったそれらさえ買えなくなる可能性もある。
どうであれ、その国の経済は、成長下降圧力を受け、デフレ圧力を受ける。
それが、この間の日本のように「デフレ不況」をもたらすとしたら、どの国の国民も、日本国民のようにただ耐えるというわけではないだろう。
自分たちの生活を維持するために、かつて日本製品に向けられたこともあるように、「中国製品排斥運動」が起きる可能性が高いと予測する。
日本からの輸出が中国からの輸出に変わったものであれば緩和されるが、国内でも生産されているものであれば、激しい反発が起きるはずだ。
自国企業が中国で生産している製品に対しては優遇策が採られるだろうが、それ以外の製品については、輸入割当や高関税率適用などの輸入抑制策が採られる可能性が高い。
中国は、WTO規約を盾に抵抗するだろうが、「自由貿易政策も保護貿易政策」という冷徹な現実に勝つことはできない。
中国の輸出拡大策は、この2、3年でほころびを見せると予測している。
そして、それは、「中国の自滅への道」の条件が現実化することでもある。
「世界同時デフレ不況」は、根源的には違うが、中国からの輸出拡大が大きな要因になって引き起こされると考えている。
中国政府は、有限な世界経済のなかで輸出拡大を続けることはできないという現実を認識しなければならない。
■ 日本と中国の関係
日本企業は、1/10以下と言われている人件費の低さや優遇税制に魅せられて、中国に生産拠点を移転させている。(社会主義国家なので教育水準は高い)
これが、日本の「デフレ不況」が長期化している大きな要因である。
「デフレ不況」のために、国内では思うように利益が得られるコストで生産できないから中国で生産して輸入するという行動をとる企業が増えたことで、日本の「デフレ不況」がさらに悪化しているのである。
日本の企業には、中国に輸出する消費財まで日本で生産すべきだとは言わないが、日本で販売するもの消費財まで中国で生産することは止めるべきだと言いたい。
それは倫理の問題ではなく、経済論理の問題である。
(戦後復興期や高度成長期に国策として成長したという歴史的経緯から言えば、倫理(恩義)の問題もあるが...)
個別企業の利益確保の動きが、本拠地である日本経済の「デフレ不況」をさらに悪化させ、それがそのような動きをしている企業にも収益悪化という悪影響を与えているのである。
現在のところは厖大な貿易収支の黒字を計上している日本は、歴史的経緯からも、中国製品を輸入することで経済発展をサポートすべきだと考えているが、個別企業の利益にも、日本経済の回復にもつながらない「製造拠点の中国への移転による日本向け輸出」は止めるべきである。
中国への製造拠点移転が本拠地である日本の「デフレ不況」を悪化させるにとどまらず、このまま中国に移転を続けていっても、
● 中国からの輸出拡大で悪影響を被る諸国の反発で思うような生産(輸出)はできない。
● 中国籍企業が競争力をつけていけば、それとバッティングする日本企業は中国から退出せざるを得なくなる。(サンヨーはテレビ事業から撤退した)
という問題も控えている。
日本企業は、本拠地である日本の経済を悪化させたり生産基盤を廃棄することで得られるものはなにもないのである。
小泉首相は、つまらない民営化政策に執着するのではなく、理を説くことでも、土下座をすることでもいいから、経済界に、中国への製造拠点移転を控えるよう要請すべきである。
それが、「デフレ不況」解消のための重要な政策の一つである。