現在地 HOME > 掲示板 ★阿修羅♪ |
|
分析
The Erosion of Confidence
日本国債格下げと世界の新たなリスク
ロバート・サミュエルソン(本誌コラムニスト)
10年ほど前なら、日本政府の債務不履行など考えられもしなかった。第2次大戦後、先進工業国が債務の支払いを少しでも滞らせた例はない。仮に起こるとしても、世界第2の経済大国で技術大国の日本は、そんな可能性からいちばん遠い存在だった。
だが、今は違う。格付け会社はどこも日本国債の格付けを引き下げている。最近もムーディーズ・インベスターズ・サービスが、2段階の引き下げを行った。債務不履行の危険度は高まっている。
日本の凋落ぶりもさることながら、さらに重要なのは、日本がより大きな経済の変質を表すメタファーになっている点だ。私たちは、理解できる範囲の小さなリスクしか存在しない世界から、計り知れない大きな災いが待つ世界へと足を踏み入れたのだ。
テロ再発はないと誰が言えるだろう。企業会計疑惑もブラックホールだ。企業幹部や機関投資家の間には今、漠然とした自信喪失が広がっている。未知の世界に踏み込む不安が原因だ。
私たちは、リスクというものを再発見したのである。日本の債務はその端的な例だ。OECD(経済協力開発機構)によれば、2003年の日本の政府債務残高はGDP(国内総生産)の150%近くに達する見込みだ。アメリカのそれは現在58%、イタリアは105%である。
先進国では未踏の水準
さらに悪いことに、日本の債務は膨張し続けている。GDPの7%という巨額の財政赤字を出しているからだ。財政赤字の削減手段はふつう、増税と歳出削減だ。だが経済が弱りきった日本では、それが深刻な不況を招き、財政赤字もさらに拡大する可能性がある。
日本の財政赤字が毎年4〜7%のペースで増え続ければ、政府債務はすぐに「戦後の先進国では前例のない水準」に達すると、ムーディーズは指摘する。そして、いずれは「持続不可能になる」。
そのとき何が起こるのかは、はっきりしない。銀行や機関投資家が国債を買わなくなるかもしれない。そうなれば、満期を迎えた国債の償還は不可能になる。あるいは日本政府は、一方的に償還期限を延長するのかもしれない。
では、「持続不可能」な水準とはどこなのか。ムーディーズによれば、「予知は不可能」だ。
ムーディーズの国債格付け責任者のビンセント・トゥルーリアは、日本が債務不履行に陥る可能性はまだ小さく、確率はおそらく200分の1程度だと言う。だが、確率は債務とともに上昇する。
当然のことながら日本政府は、債務不履行などありえないと言う。国債の大半は円建てで、95%を日本人が保有している。日本政府は、日本人が今後も巨額の貯蓄を続け、その貯蓄で金融機関が国債を買い続けてくれると見込んでいる。
だが、誰もがそう楽観的なわけではない。米国際経済研究所のアダム・ポーゼンは、いずれ金融危機が起こると言う。日本人は政府債務や銀行の不良債権に恐れをなしている、というのだ。
彼らが預金を「現金や金や海外」に移しはじめれば、信用収縮が起こりかねない。昨年の夏以降、日本の月間の金輸入量は5倍に増加しているとポーゼンは指摘する。
結局、私たちには、いつどんな形で危機が起こるか、そもそも危機が起こるかどうかさえわからない。
理由の一つは、最近の前例がないことだ。「19世紀後半以降の債務不履行のほとんどは新興国で起こった」と、カリフォルニア大学バークレー校の経済学者、バリー・アイケングリーンは言う。
市場に注意深い緊張感
日本に限らず、不確実性は警戒心を助長する。人は世界中どこでも、希望や恐怖といった感情に従って行動する。株式市場は、ムードによって繁栄もすれば挫折もする。90年代後半には、誰もアメリカ市場の熱狂を止められなかった。それが今は、注意深い緊張感が取って代わっている。
アメリカの消費者は、まだ楽観寄りだ。おかげで成長も続けてこられた。だが経済エリートは、私たちを未知の領域に誘う何ものかの予兆を感じている。それがテロか不正会計か、ドル危機なのか日本危機なのかはわからない。
そうした予感が人々や企業の活動を妨げれば、危機が現実になりかねない。この不安もまた、行きすぎなのかもしれない。だが正体はわからなくても、リスクが存在することは確かだ。
有力コンサルタントのピーター・バーンスティーンは最近、こう言った。「不確実性とは計測不可能な何かだ。われわれには何が起こるかわからないし、それが起こる確率もわからない」
まったくそのとおりだ。
日本の危機は、予測可能なリスクではなく計り知れない災いが待つ時代の象徴だ。