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【世界経済のゆくえ】経済支配層は70年代に何を考えたのか 投稿者 あっしら 日時 2002 年 6 月 12 日 18:55:58:

『【世界経済のゆくえ】世界経済にとって70年代はどういう時代だったのか』( http://www.asyura.com/2002/hasan10/msg/744.html )の続きです。
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世界経済を支配し動かしている人たちは、私なぞ足元にも及ばない経済分析力と政策立案力を持ち、国際機関や各国の政府・中央銀行を通じてそれを現実の政策とするパワーも持っていると考えている。
(国際機関や各国の政府・中央銀行のスタッフは、ご託宣に寄りかかっているだけでたいした思考活動はしていないようだ。思考することは止められないが、分析や政策を主体的に出すことを止められていれば、思考することも止めてしまうだろう)

「成長の限界」論や「脱工業化社会」論が出てきたのも70年代だから、近代の象徴である工業を推進力とした経済発展が頭打ちになったという認識を支配層が持ったことを窺い知ることができる。

だからこそ、70年代に、経済成長が行き詰まったことを先進国の多くの人が考えたのであって、その逆ではない。

このような認識が広まっていったのは、「ドル兌換停止」により戦後世界の基礎であったドル為替金本位制が瓦解し、高インフレ率でありながら実質経済成長率がマイナスになるというスタグフレーションの現出を目の当たりにしたからであろう。

及ばないことだが、経済支配層が70年代に何を考えたかを考察してみたい。


■ ドル為替金本位制の崩壊

60年代後期から米国の貿易収支は赤字基調に転じ、「ベトナム戦争」の戦費増大により外国に流出するドルも増大した。
そして、フランスのドゴール政権は、保有外貨準備であるドルを金に兌換し続けた。

兌換停止を行うことなく米国が金の流出を止めるためには国際収支を均衡にするしかないが、それは、米国市場に依存している世界経済の縮小均衡をもたらすものである。

変動相場制以外の選択肢としては、米国に限らず、戦前のある時期と同じようにどの国も為替金本位制を採るというものである。これが採用されていたら、米国から大量の金が日本や西ドイツに流出していたか、戦前のように平価切り下げ競争と輸入障壁が横行し世界経済は混乱のなかで停滞を続けていたであろう。(十中八九、後者であったはず)

貿易収支は赤字であっても、米国の絶対的な経済力が揺らいでいるわけではないのだから、米国経済を基軸とした世界経済であることには変わりはない。(ソ連・中国という共産主義国家の存在が、最強軍事国家米国への求心力を維持したことも重要である)


このような認識のもと、先進諸国は変動相場制に移行していったと推測される。

世界は、国際交易でも価値基準を失い、通貨間の相対評価で交易品の価格調整が行われる体制に変容した。

為替理論から言えば、米国ドルは、貿易赤字の増大によって円やマルクなど貿易黒字国の通貨との関係で相対的な評価が下がり、貿易赤字の解消に向かったはずである。
しかし、米国の貿易収支は、1ドル=80円まで下がっても、赤字を拡大する方向に動いた。
(これは、工業製品の国際交易という面に限れば、1ドルは80円の価値もない通貨だということである。米国民が日本製品を1ドル=125円で購入できるということは、手持ちドルを日本円に対して56%も有利に使えているということであり、日本国民は自分たちが生産したものを、ドル保有者に56%も不利な価格で売っているということである。日本では“伝統”的に「円高嫌い」の人が多いようだが、「円高」は、日本人の労働が高く評価されるということであり、日本円が有利に使えるということである)

それでも米国が最大の経済力と最強の軍事力を維持し続けられたのは、国際商品のドル建てという基礎の上で、“米国債務本位制”とも言えるいびつな体制が出来上がったからである。

ある国家の“借用証書”が世界経済を支えるという前代未聞の構造が生まれたのである。

借用証書がFRBの直接引き受けによって積み上がっていれば、これまでのような世界経済を維持することはできなかったはずである。
米国に物やサービスを輸出したり、米国から利益や利息を得ている経済主体や中央銀行が、借用証書を積み上げてきたからこそ信用が維持されてきたのである。


※ 変動相場制への移行ではなかったら国際金融資本の力が削がれていた

米国に限らず、戦前のある時期と同じようにどの国も為替金本位制を採ることになっていたら、米国に拠点を移していた国際金融資本の力は大きく削がれていただろう。
それは、70年以降であれば、日本と西ドイツが「世界の工場」という地位が失う可能性は低く、ドル平価がずるずると切り下がっていった可能性が高いからである。

「1ドルは80円の価値もない通貨だということである。米国民が日本製品を1ドル=125円で購入できるということは、手持ちドルを日本円に対しては56%も有利に使えているということ」は、ドルを厖大に保有している国際金融資本についても同じように言える話である。

為替金本位制であれば、80年代前半のドル高政策や高金利政策も採れなかったし、85年の「プラザ合意」のレベルではない平価切り下げに追い込まれていたはずである。
(「プラザ合意」によるドルの対円レートでの40%にも及ぶ下落は、それまでの対外債務の切り捨て政策である。米国政府は、実質的には既にデフォルトを行っているのである)

為替金本位制が採られ、日本の金融資本が理性的強欲者によって経営されていれば、日本が金融大国になっていたであろう。(外国の銀行や証券会社が日本でそこそこ自由な営業ができるようになったのは80年代後半である)


米国当局が“強いドル”を志向するのは、国際金融資本の意向を汲んだものである。

変動相場制であれば、保有通貨(ドル)を状況に応じて他の通貨に転換することで、実質価値の維持を図ることができる。

このような意味からも、“ニクソンショック”後に、為替金本位制に移行することはなかったと言える。


■ スタグフレーションという現実

ケインズ的経済政策論が否定されるきっかけになったのは、高インフレ率のなかで実質経済成長率が下がってしまうというスタグフレーションを先進諸国が経験したことである。
73年に原油価格が4倍に跳ね上がり、異常とも言える物価高が現出した。
(第4次中東戦争を契機にOPECが決めたとされているが、「ホメイニ革命」ともども、それが実現できた背景や意図は不明−−−レスに期待−−−)

インフレは通貨価値が下がり物の価値が上がるというものだから、物を購入し、それらを使って商品を生産し販売する農業や工業の経済主体が、生産活動に励む動機になるものである。

しかし、スタグフレーションは、締めてみれば、確かに手取り通貨は増えたが、その通貨は、元の生産手段を購入するに値するものではなかったというものである。
簡単に言うと、1万円で生産手段を購入し、生産した商品を1万5千円で販売したが、1万5千円で元と同じ生産手段を購入することができないという現象である。儲けたように思えていたものが、実際に計算してみると儲けていなかったというものである。(個々の経済主体ではなく、国民経済全体でみればということだが)

日本の高度成長期は、赤字国債による財政支出の拡大という手法ではなく、中央銀行(日銀)から商業銀行への貸し出し量(通貨供給量)増大という手法でインフレを起こしながら、高い実質経済成長を達成していった。(借りた経済主体は返済義務を負うが、政府が借りるのと違い、国民は返済義務を負わない拡大政策である)

経済拡大の牽引力であった日銀の貸出量を抑制する要因は国際収支であった。
経済活動が加熱し輸入が増大すると、国際通貨ではなかった円のために、経済活動を抑制するしかなかったのである。(米国よりも高いインフレ率は実質的な円安を意味するから、インフレは輸出促進に貢献する)
当時の日本では、輸出企業はどれだけ融資を受けられるかが勝負の分かれ道であり、輸入企業はどれだけのドルを割り当ててもらえるかが勝負の分かれ道だったのである。


スタグフレーションは、手法が赤字国債による財政支出拡大によるものであろうが中央銀行による通貨供給量増大によるものであろうが、インフレをもたらす総需要拡大政策では、実質の経済成長が遂げられないことを示した。

これが、フリードマン氏を中心とするマネタリズム理論の台頭につながった。


■ ローマクラブの「成長の限界」

73年に公表されたローマクラブの「成長の限界」は、人口過剰問題や環境問題を経済成長の制約条件としたものである。

これはマルサス主義と環境主義が結合した理論で、人口増加率に食糧増産率が追いつかないことや現在のペースで消費量が増えれば埋蔵原油は2000年頃には枯渇することを予測し、これまでのような経済発展を追求すれば、地球環境は破滅的なものになるとした。

いわゆる環境保護運動が世界的に広まり、多くの人からその活動が認められていることにも、ローマクラブの提言が大きく貢献している。

人々の生存環境が悪化したことは事実だが、食糧問題は絶対的なものではなく経済システム的要因による相対的な偏在であり、原油も近い将来に枯渇するとは考えられてはいない。

現存の生存条件を超える絶対的な過剰人口は、過剰分が死んだり人の再生産ができなくなることで否応なく調整されるものである。
食糧の偏在要因でもある労働に従事できないという相対的な過剰人口は、近代経済システムが根源的に抱える問題であり、そういう人たちの生存維持コストを誰が負担するかが問題になる。

物やサービスが思うように売れないという“過剰供給力”に悩み続けるのが近代経済システムの宿命だから、人口増大は、経済成長の制約条件ではなく、経済成長の必要条件である。

ローマクラブの真意は、経済成長の見通しから、現在の人口増加率が相対的な過剰人口をさらに増やしていくと考え、経済成長に貢献しない人口が増えることで貢献している人たちの負担が増加することを憂慮したということだろう。

もちろん、有限な資源が枯渇する可能性はあるし、生存環境の悪化は不快である。
(いちばん酷い生存環境は、近代経済システムのなかでお金を稼がないと暮らしていけないことだが)

米国や欧州諸国が移民を定量的に入れているように、先進諸国の“自然成長率”を支えているのは、生産性向上と人口増加である。とくに、高齢化問題では、若年層移民の存在が大きく貢献している。

ローマクラブ的な考えが根強く存在し、“過剰人口”問題をなんらかのかたちで処理したいという政策に結びついていることは間違いないだろう。(戦争も、ウイルス問題も...)


■ 経済支配層が目指したもの

世界経済の支配層は、金融資本を頂点としたピラミッド構造のトップである。
すなわち、世界の経済活動を統御でき、それを通じて最大の利益を手にする国際金融資本が、世界経済の支配層である。
産業資本などは、自身も利益を得るとはいえ、国際金融資本に利益を上納する存在である。

奴隷取引(対“新世界”向け)・一般商品取引(インド・中国からの輸入が中心)・麻薬取引(輸入の穴埋めが発端)を柱にした国際交易で利益を拡大していった国際金融資本は、一般商品取引での利益拡大をめざして近代産業を発展させていった。

奴隷の入手先であったアフリカも、換金作物や貴金属資源の入手先として植民地化の対象となり、アジア諸地域も同じく植民地化の対象となった。インドや中国は、近代産業が生産する商品の販売市場として位置づけられ、それを確実のものとするために、植民地化されたり、主権制限を加えられることになった。

70年代は、支配層に、一般的に近代資本主義とイコールとして考えられている産業資本による利益拡大が行き詰まったことを明確に認識させることになった。

産業資本=工業を通じて利益の拡大を計る(経済成長する)ためには、付加価値の分配内容を変更するしかないことを認識したのである。わかりやすく言い換えると、国際金融資本や産業資本の利益を減らし、勤労者に渡す所得を増やさなければ工業的経済成長が続かないことを理解したのである。

国際金融資本にとって、インフレは実質経済成長がプラスである限り許容できるが根源的には忌み嫌う経済現象である。インフレは、保有している貨幣の価値を減少させてしまうからである。
国際金融資本(金融資産家と考えて欲しい)は、産業資本とは違って、デフレでありながら利益を拡大していく状況こそが好ましいと考える。


70年代は、利益拡大期=成育期から利益確保期=刈り取り期への一大転換期だったと考えている。

次回は、80年代以降に主流となった経済的価値観や経済政策が、利益確保期=刈り取り期のものとして的確であるかどうかを考えてみたい。

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