現在地 HOME > 掲示板 ★阿修羅♪ |
|
(回答先: Re: 資本主義は“先送り主義”ではなく“先取り主義” 投稿者 baka 日時 2002 年 5 月 19 日 21:22:21)
bakaさん、こんにちわ。
近代発展の原動力の一つである「信用創造」は、使われることを認めていない貨幣を人に貸し付けて使わせてしまうことです。
銀行家が自分が所有している貨幣を人に貸し付けることは、利子取得という行為を別にすれば、自己責任の問題であり、破綻(焦げ付き)しても、その銀行家と債務者がおかしくなることで済みます。
しかし、銀行が、預かった貨幣を人に貸し付けると様相は変わってきます。
貨幣を預けた人は、その貨幣を将来使おうと思って預けているのであって、現時点で使っていいとは考えていません。
(中央銀行制度成立以前の銀行は、貨幣を預かるのに保管料を徴収していたくらいで、預金者は利子をもらえるなんて思っていませんでした。もちろん、銀行家は預かった貨幣を使って利益を膨らませていましたが...)
例えば、自己資本比率が8%でいいということは、銀行が自己資本の12倍強の貸し出しや投資を行ってもいいということです。貸し出しの原資は預金です。
お金を借り入れた人は、借りたお金で土地や機械設備を購入したり、原材料を仕入れたり、人を雇ったりします。ここで冷静に考えなければならないのは、借りた貨幣の92%は、あくまでも預けていると思われている貨幣であり“使われてしまっていい”と思われている貨幣ではないということです。
後で使おうと預けられているだけの貨幣を他の人(経済主体)に貸し出して使わせてしまうのが、「信用創造」です。(これが歴史の先取りという意味です)
近代経済は、この「信用創造」という“錬金術”で、大工場の建設や大規模な戦争そして需要の増大を推し進めてきました。近代の供給力も需要も、「信用創造」によって大きく膨らんできたのです。
そして、このような「信用創造」が破綻しないためには、より大きな貨幣的富を外部経済社会から獲得しなければならないという宿命を抱えています。
(後で使われる貨幣を先に使ってしまって、後で返さなければならないからです)
「銀行は預金と貸し出しを通じて経済社会全体の資金を効率的に配分している」と説明されていますが、銀行は預かったひとのお金を貸し出して使わせ、“運が良ければ”利息とともに回収し、預かったひとの払い戻しにも応えられるというものでしかありません。
“運が悪ければ”、利息どころか元本も回収できず、預かったひとの払い戻しにも応えられないことになります。
経済社会全体がそれなりに動いていれば、5%やそこら焦げ付いても、担保もあるし、それを埋めて余りあるほどの利息収入があるので問題になりませんが、「バブル崩壊」や「大好況の終焉」という経済社会全体の破壊的な状況が訪れると、担保価値も下落し、預かったひとの払い戻しに応えられないという事態が現出します。
経済学は、基本的に、強欲者の錬金術的なえぐい金儲け手法をもっともらしい説明で正当化しているものだと言えます。
※ 参照書き込み
下記の書き込みなかで、とりわけ(金本位制と中央銀行)以降を参照してもらえば幸いです。
『【経済学者のトンデモ理論】デフレーション・インフレーションそして通貨』
(デフレとインフレ:貨幣の成立)http://www.asyura.com/2002/bd17/msg/111.html
(金融家の登場)http://www.asyura.com/2002/bd17/msg/122.html
(金本位制と中央銀行)http://www.asyura.com/2002/bd17/msg/135.html
(戦後世界)http://www.asyura.com/2002/bd17/msg/151.html
(現在の世界)http://www.asyura.com/2002/bd17/msg/189.html