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問題意識から当事者意識へ
投稿者 如往 日時 2002 年 11 月 13 日 00:59:25:

(回答先: 【参考資料】匿名希望氏との経済・財政問題をめぐる応答集 投稿者 あっしら 日時 2002 年 11 月 09 日 23:32:42)

 あっしらさん、こんにちは。
 『「あっしら」考 +γ 』へのご回答ありがとうございます。

 匿名希望氏との関連にも触れてみたいと考えておりましたので、こちらにレスさせていただきました。
 まだ一ヶ月の経過にすぎませんが、それにしても匿名希望氏の不在は寂しいかぎりです。


 さて、キリスト教(プロテスタントの教理)とマルクス主義(哲学)が同根であるとされる所以は、人間の手によって世界を加工できるという信仰にあるでしょう。際立つ違いは見られる存在としての人間が何(誰)によって見られていると意識するか、または措定するかにかかっています。すなわち前者ではそれが神(エホバ)であり、後者では社会(共同体)にあたるのでしょう。しかし、この二つの近代合理主義の亡霊にとり憑かれた人間は、その歴史的役割の終焉後も尚、呪縛を解き放つことができないようです。
 我々の周囲には左翼思想を入り口して出口なき右翼思想に迷い込んでいる、あるいは右翼思想を入り口にしていつの間にか迷宮に棲んで居ついてしまった、さらに左翼思想の幻視からいつまでも目覚めることができない戦前・戦中派の人達がいます。その彼等の多くが鬼籍に入ってしまう日も間近に迫っている現実があります。それを意識してなのかどうか判りませんが、戦中の記憶を有せぬままあっしら氏は戦後を抱え込もうとしているのではと見受けられました。(実は私も、accessの経路は違っていても同じようなことをしていると自認しています。)

 ところで、相対化は近代合理主義の権化でもありますが、お二人の物事を相対化する能力は相当なもの、しかし対象が有する真理性(それ自体)を問わずということ、つまり世界と生存の意味に関る価値観の否定というニヒリスムスに根ざしている点で共通していると捉えています。
 そして、それぞれの言説のContextから推察すると、少なくともあっしら氏は従来価値の崩壊による無意味な存在状況をそのまま引き受けていこうとする受動的ニヒリスムスの立場に、匿名希望氏は将来的な価値の創造を意図するがそれには既成の価値の転換(破壊)をも辞さずという能動的ニヒリスムスの立場に近接していると考えています。あっしら氏の推薦本と最近披瀝された読書遍歴の一部を照合することによって、そのように推察し訂正を加えたもので、余談ですが政治家に準えるとホー・チミンの構えに似ているなといった想いを強くしました。匿名希望氏については、以前鉄血宰相ビスマルクの再来を待望すると吐露されていたことからも、ニーチェの「超人」思想にたいする密かな憧憬を窺がうことができ、対立する政党からも何かと疑念の的にもなり官僚的と揶揄される日本共産党のエリートの心象風景が、しばしば国民によって批判の対象にされる政府官僚のそれと酷似している皮肉を改めて感じました。無論人間の事ですから、振り子がどちら側にも振れ戻す可能性を完全に否定するものではありません。

 私は習い性として他者にも自身に対しても当事者意識の所在を問題視していますが、特に歴史認識はそれと不可分の関係にあると見ています。匿名希望氏にとっては自省の意味合いもあったのでしょうが、歴史認識や経済問題を介在にして両氏が互いに討議・確認し合っていたのが一貫して当事者能力で、問題意識の表出の流路で再三問うていたのが当事者意識であったと思われます。
 しかし、匿名希望氏はその現状の立場を護持することでリーダーシップを忌避し、問題意識にある一定の箍を嵌めてしまわれた。一方、あっしら氏はStudiesを重ねるほどに「非力」を深く意識して心ならずも「荘子」に回帰したのかも知れないと想像しました。つまり、せいがく氏への返答の中で、(この度の)諸制度の変更に際しては“文化革命”が“政治革命”に先行するのではと述べられています。では過去に“文化革命”が後の“政治革命”を用意したという事例があったかどうか政治思想史を概観してみると、なかなか見当たりません。そこで、道家の成るようにしか成らぬのだという諦念が2500年を経て奇妙に附合した、ハイエクのSpontaneous order(自生的秩序)の歴史観に依拠する面もあるのかなと考えると、マルクスが提示したFunctionないしParameterがどんな位置付けになるのか、さらに深く覗き込んでみたい気持にもなりました。現実にある人間が何に依拠すべきかについて語るのはもう少し後のことにしなければならぬかも知れません。

 しかしながら、少なくとも歴史認識という地均しを終えつつある人には、その畑に蒔くべき種、咲かせるべき花、実らせるべき果実とは何かを追究していって欲しいと願わずにはいられません。例えば、今日の小泉改革に対する隠れた批判は、改革の後のVision(=理念+目標=価値観+Commitment=世界像)が明示されていないこと、日本のあるべき姿、即ち日本の未来像が提示されていないことであると巷間云われています。必ずしも登坂の決定的なルートが明示されていなくてもよいのです、ただし登るべき連峰が明示され巓に到る道筋が幾つあるのか提示することは重要です。
 ところが反面では、明示されていないことを指摘せず、明示することを要求しない日本国民の歴史的な政治的未熟さも厳然として存在するのです。この点について阿修羅のサイトでは自問自答を繰り返しつつ多くの人達が指摘しています。おそらくそれは、物事を思考するときや問題解決に際して、日本人が伝統的に与件の再検討を怠ってきたことに起因すると考えます。言辞の定義や立論の根拠に拘泥するのは、確かに西洋思想が齎した弊害と批判される面もあることを否めませんが、もし何らかの日本的普遍性を世界に問おうと志向するならば、日本人は太刀のみならず鉾の道も、もちろん楯の道も鍛錬していく必要があると思うのです。


 また寄せさせていただきます。


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