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(回答先: どひゃーっ!やっぱり難しい本をたくさん読まないとあっしらさんみたいな思考はできないのですね(泣) 投稿者 あっしらファン 日時 2002 年 11 月 10 日 03:13:57)
あっしらファンさんから(「哲学徒もどき」さんからも)、リストアップした書物は難解なものが多いというご指摘を受けましたが、読書経歴などを知らないままのレスだったのでそのようなものになってしまったと考えています。
学者が学的体系を築くために書いたものが多いので、私もですが、学者を志向していない人にとっては難解である苦痛であることは否めません。
(学者を志向していないことで楽な立場であることが強みになります。論文を書く必要もなく、事象を考える手段として使わせてもらえばいいだけですから)
まず、概念の理解で骨が折れます。
とりわけ、哲学分野の書物は、理性的思考過程や頭のなかの世界像を思考するという内容ですから、三重人格化というか四重人格化的思考と抽象思考の連続が必要になります。
取り上げた広松氏などは、同時代の人で自問自答的対談形式の書物もあり、そちらのほうが理解しやすいものです。(哲学全般に関するものや相対性理論に関する対談形式の書物があります)
書籍も安いものではないので、本屋で手にとって少し読んでみて、書いてある内容からイメージが結べないものは後回しにするという取捨選択をお奨めします。
概念のイメージが結べなければ、概念をそのまま言葉として受け止めるしかないわけですから、展開されている内容の理解は困難になります。
(難解すぎるものや苦痛を感じるものは、読むのをあっさりやめるほうがいいと思います)
例えば、“時間”という概念を一般的に観念されている意味で了解されていると、19世紀までのギリシア・西欧的哲学書は理解できても、現代物理学や大森荘蔵氏などの論は何を言っているかわからないという可能性があります。これは概念規定が違うためで、ある女性をつかまえて美人かブスかという対立に近いものですから、やむを得ないことです。(大森荘蔵氏の「時は流れず」は氏の時間概念をわかりやすく知ることができる好著です)
“時間”という概念について何らかの説明ができるほどのイメージを持っていないと、哲学や自然科学的世界像をめぐる理論の理解は難しいかも知れません。
(別に“高尚な”時間概念である必要がありません。「時間は時間だ」というのではなく、簡単でもいいから別の言葉を使って時間を説明できるということです)
同じ言葉で表現されているものでありながら、違う概念=イメージを指しているというのが理論の理解を妨げている大きな要因だと考えています。
自身が概念=イメージを持っていれば、読み進めていくなかで、この人はこういうことについてこのようなイメージ=概念を持っているんだということがわかるようになります。
(哲学の難しさは、思考過程をイメージしなければならない部分があるからだと思えます。自分にそのような思考経験がないとイメージを結ぶのは困難ですが、同じ人間の営為ですから、そのうちこのようなことかとなんとなくわかる(イメージできる)ようになるはずです。そうなると三重人格化的思考もそれなりにできるようになります)
そこまでいけば、その人の概念のほうがより適合性があるか、自分の従来的な概念のほうがより適合性があるかの判断ができるようになります。
(どっちが正しいとか真理だということではありません。判断主体である自分自身にとってよりもっとらしいほうがどちらかという問題です)
興味がある対象は自分自身の概念=イメージを持っていることが多いので、それに関して書かれている書物から手にするということでいいのではないでしょうか。
前に書いたことですが、「思考力とは想像力」だと考えています。
それに付け加えると、「世界を認識することとは自己認識である」ということになります。
いろんな事象に強い興味を持ち、それらに関する先人の論を読んでいけば、正しいか間違っているかは別として、世界が少しずつ見えていくと思っています。