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いま十代の若者の精神衛生というか自己表現活動というか、
とにかくそんな物として、古くは「よさこいソーラン祭り」
に代表されるような踊りを機軸とした創作的祭りが脚光を浴びている。
その功名たるや実に目覚しく、彼らが本来死ぬほど求めて止まない
自己表現の場が与えられる事により、深刻な退廃や暴力に
侵食されていた校区が次々と更生しているという。
そして希望を得た彼らは言う、「皆さん希望を持って元気に生きてください」
高度成長期の躁(そう)病的害毒が少し抜け、ある面で健康を取り戻した社会を
生きている世代の力には、今後の日本国を推進していくだけの物が
確実にあるはずだし、なければ困るのだが、しかし・・・
彼らはその自由な立場を利してエエじゃないか踊りを
いち早く始めたのか?
それとも芸術の追求に、日本人としての道を見出したのか?
おそらく半々といったところだろうが、消極平和的アナーキズム
とでもいうような戦後日本のベクトルは不変のまま、
日本人の生き方がそれなりに洗練されてきたという事だろう。
さてこうして芸術大国、あるいは自己啓発大国への道を
歩みつつある日本だが、それだけに
○投票する人「どうでもいいから良きに計らってチョンマゲ」
○投票される人「了解!うまい事やっときま(と言って対米従属&利権むさぼり放題)」
的な自民党型の政治は今後ともその基盤の強靭さが
保証される事になるし、それを解決する原動力つまり自浄能力が
今後も存在せず、その部分をもアメリカに依存する事になる。
要するにアメリカの存在が救いなわけだ。
天皇の存在は国際金融資本になり、征夷大将軍がアメリカと
言ったところか。
その事自体の良し悪しについては、
もともと日本国の自主自決性など無いも同然だし、おそらく
アメリカに付き従って、どれだけの犠牲を払おうとも
嬉々として新世界秩序に突入する事になるだろう日本を
戦前までさかのぼってどうにかするよりは、貧しくとも
個人個人の人間性を追求すればそれで良し(本当は良くないが)
と言う考え方があっても非難できはしないしむしろ
一目置くべきだろう。
かくしてどこまでも自決性の無い日本は、あまり経済的に
豊かでない国へ道を歩む事になる公算が大ではないかと思うが
それもまた良しだろう。その環境はひいては軍事力不足の問題を
招くかもしれないがそれもまた良し。
そもそも日本人は戦後は「戦争やるよりは皆で殺されましょう」
と決めたのだ。その決定を全うする事には理屈上の問題は無い。
どれだけ殺されようとも日本人の血脈が絶えることは無いはずだ。
戦後理念を全うし人類に手本を示すと言う、正誤は脇に置いても
とにかく迷いの無い気概を示すと言うのも一興ではないか
と考えるし、そう思うと世間の行く末も楽しみに思えなくもない。