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(回答先: 「恋愛」? 投稿者 オリハル 日時 2002 年 10 月 08 日 20:36:15)
中国で恋愛が弾圧されたのは確かに「かつての話」でしょう。
ではそれならなぜこの懸案の李崇氏(神奈川大法学部3年・当時)は、それについてまるで人ごとのように述べているのでしょうか?あまりに無責任ではないでしょうか。少なくともこんな自慢げに書く必要はないのではないでしょうか
もちろん中国政府の批判を中国政府当局にみつかるととんでもないことになるでしょうから、批判しろなどとは決して言いません。逮捕されてまで、死んでまで正しいことを言えなどというのは非道です。身の安全が1番大事です。(ホントに)
私は、この李崇氏の他人事のような、中国当局が恋愛を弾圧していたことがまるで善かったことであるかのような書き方が許せないのです。
さらに何度もいうように、人間、性欲・愛欲があって当然です。
「性に対する厳しい論理観」(原文ママ、きっと倫理観でしょう)などというが、その倫理観はほんとに個人の尊厳にとって有益なのでしょうか?その倫理観は国家・社会による秩序や道徳のおしつけではないのでしょうか?
個人的にする禁欲は勝手ですが、禁欲を社会全体でしようという価値観は非常に危険だとしかいいようがありません。個々人の尊厳を全く無視した話です。
また中国にはヘイハイズと呼ばれる戸籍のない子供たちがいます
。これは中国当局が「1人っ子政策」で2人目以降の子供には戸籍を発行しないという非道な方針を(少なくとも一部地方では)とっているからです。禁欲を人口抑制のためにおしつけ、戸籍がなく福祉も何も受けられない子供たちが存在する・・・
こうした問題に李崇氏はどう答えるのか。
さらに「ラブホで文明国としての品位を汚し精神文化の未熟さを露呈」「性の情報が氾濫」などとご親切にも心配なさっているようですが、ラブホテルや性の情報のようなサブカルチャーはどんな社会にもあって当然であり、自然に任せておくべきだと思います。
ラブホテルで町の景観が悪くなるという話ならまた別の話でしょうが。
またラブホテルと強制猥褻やレイプなどの性暴力は関係ないのにまぜこぜで論じているのはなぜなのでしょうか。
「婦人暴行事件の常習犯には引き回しの上に銃殺という公開処刑も適用される。」というのもあまりに野蛮です。こうした犯罪は絶対に許されない。しかしだからといってこんな刑罰は近代国家のするものではないのです。
神戸の少年による小学生殺人事件に関しても、「少年院に送るだけでは法の威嚇力がなくなり、このような悪質な事件がまた発生する。」 とかいています。李崇氏は「法の威嚇力」で物事がそんなに簡単に解決すると考えているのでしょうか。
神戸の事件で大切なのは、いうまでもなく被害者の方やご遺族のへのケアや補償と、そして犯人の少年の心の治療です。そしてああいった罪を犯してしまうような精神状態になっている人をケアしなくてはなりません。
法の威嚇力では大阪・池田市の児童殺傷事件のように「死刑になってやる」と自暴自棄になって犯罪を犯す人は止められません。
とにかく何事もおしつけ的で全体主義的匂いさえする「秩序」や「道徳」の利益なのか、個々人の尊厳に根ざした利益なのかということをもう少し考えてみては如何でしょうか。