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(回答先: Re: あっしらさん、AVなんてみないですよね? 投稿者 まろたみ 日時 2002 年 10 月 26 日 00:22:17)
まろたみさん、こんばんわ。
タイトルに問いかけがなければトボケルこともできるのですが(笑)、実像とあまりにも食い違うとんでもない形容句までついた問いかけもあるので簡単にレスします。
ひとと比較ができるものではないのですが、すごく性に執着して生きています。
物への執着は希薄なほうで、食べることと性に執着しているきわめて本能的な人間だと思っています。
そういうわけで、いわゆるAVという“半端な”ものはほとんど見ませんが、本格的なものを見ています(笑)(頻度は少ないですが...)
まろたみさんが考察されている内容については、次のように考えています。
AVやコンピュータゲームが“あるかたち”の精神情況や行動様式を誘導しているとは思いますが、根源的には、それらの内容によって欲求・価値観・美意識・行動規範が引きずられてしまう受け手の精神基盤の在り様や対象認識の仕方に問題があるのではないでしょうか。
それは、同じニュースを見ても、報道された内容そのままに「あいつらはとんでもない奴らだ、消滅させろ」と考える人もいれば、「あいつらがやったとは言えない」と考えたり、「あいつらがああいうことをする理由もわかる」と考える人もいるということに通じると思っています。
自由や個人主義と言われている建前と違って、世界観や価値観の多様性を否定し、認識の仕方などを訓練しないまま、ある世界観に基づく知識やある価値観に基づく正邪を正しいものとして教え、その習得レベルで「人の価値」を決めているのが公教育です。
その過程を9年間から16年間もくぐり抜けるわけですから、外から与えられる情報に価値観・美意識・行動規範が引きずられるのもやむをえない面があると思います。
また、そのような“抑圧”的過程に長期にわたって身を置いていれば、欲求もゆがんでいくでしょう。
(教えられる内容がつまらないと感じる人や普遍的な真理ではないと判断する人にとっては授業中は抑圧を受けているようなものです。教えられる内容を素直に受け入れられる人や生きる術として割り切れる人は救いがありますが...)
接点を持つAVやコンピュータゲームの内容がどのような価値観(性意識)・世界観・美意識の持ち主によってつくられたものかを考える人であれば、それによって考え方や行動を大きく引きずられることはないと考えています。