現在地 HOME > 掲示板 ★阿修羅♪ |
|
あくまで巨視的にみるときだが、西洋・白人の侵略に対抗するため、指導部が、独裁体制を敷き、リーダーに対する人格崇拝(特定人格を使った求心力の体制)の体制を選んだのが、明治憲法日本であり、北朝鮮である。明治日本を創設し東アジア植民地体制を指導したひとびと(指導層)を正当化したい人々は、北がいうであろう、これはこれで仕方ない方法なのだ、与えられた、当時の世界条件からして、それはしかたない、といういいわけを十分理解共鳴できるはずだ。欧米の東アジアに対する圧力という環境は、19世紀から変わっておらず、今日も一貫して続いている世界条件、歴史条件なのである。当時と今とでは世界条件は変わっているから、現代日本と当時の日本は異なる平面にある、だから今の日本と当時の日本を異なる基準で評価すべきなどというのは、この欧米による、東アジア圧迫という条件環境の定常性からみたらナンセンスなのである。異なる基準で見ていこうとする人々は結果として米英の罠にジワジワはまってぬけでられなくなるのである。矛盾により、ミイラ取りがミイラになりつつあるのである。
現代日本は欧米からの圧迫に対し、基本的に民主的システムを使って対応できる制度を持っている。江戸末期から明治にかけては、特定の人格の神格化を基礎とする事実上の(指導部)独裁体制を選ぶことで対処する道(明治憲法)を選んだものである。歴史条件は今も変わらないのだが、違う対処のしかたがあったのである(坂本竜馬などは共和体制でカウンターしろとの立場。大正デモクラシーに続く流れで、民主主義的方法論のほうが、国を正しく経営できると考える日本人が非常におおくいた。現在、北鮮内でもそう考える人々がいるだろうが、かつての日本政府指導部がしたように、そのような考えを持つものを弾圧し投獄し、抹殺していった。)
独裁体制は自由と平等を敵視するものであり、欧米の圧力に対抗する必要があるからとの理由で独裁を選んだ結果、国内でおきている矛盾は類似のものである。日本が原爆を落とされ独裁体制が終わったように、北鮮はアメリカ政府アメリカ軍(と有事法を根拠とした米国軍の一部である自衛隊)によって、一発小型核ミサイルでも見舞ってやっておしまいになるという物語がここにまた、ある。で、今の日本がそうであるように,北鮮も米英の隷属国に位置を得て、米英の征服物語はページを重ねていくのである(独裁体制を敷いていなければ、破壊と侵略の口実にされないですんだのだ)。
米英の不当な圧力に抵抗するため、独裁システムを選ぶものは必滅する宿命にあるのだ(独伊含む)。日本を原爆で壊滅に追いやったのは、結局、指導部独裁体制をデザインした明治憲法デザイナーたちである。