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(回答先: Re: 北朝鮮が、拉致被害者らに与えたものは、 投稿者 それって 日時 2002 年 10 月 17 日 15:36:15)
こういった比喩は、拉致された本人が恥辱を負わされたという認識があった、または相手が被害者に恥辱を負わせる意図があったという場合にはある程度成り立つかも知れませんが、この場合、被害者は「何かされるかも(レイプされるかも、暴行を加えられるかも、殺されるかも)知れない」という不安や恐怖のもとに一旦は置かれるものの、結局直接そのような危害を加えられず、何がなんだかわからない、状況もはっきり把握できないうちに自分が優遇されていることに気がつき、妥協して適応してしまう、つまり、許せないだのという感情が起こることは、まずないというケースだと思いますので、当てはまらないでしょう。
ただし、突然大切な肉親が目の前から消えてしまうという、ショックを負わされた被害者の家族の方には、体の一部をもぎとられるような恥辱を加えられたという意味で、ある程度は当てはまるかも知れません。
しかし、実際の女性心理からして、あなたのいうようなレイプされた後の心境の変化はまず起こりえないものだと思います(願望投影的な、ポルノの見すぎなんじゃないですか?)。他の良い人に巡りあって、幸福になった結果などで、相手を許すことができたり、恐怖が癒えるということがあったとしても、暴行を加えた当の相手に惚れたりすることは、まず有り得ません(最初から実は好きだけど素直になれなくて、わざと押し倒されるようなスキを与えた、というケースなら別かも知れませんが)。
従って、拉致被害者(不安はプライドに置き換わっているので、彼ら自身に自分が拉致被害者だという認識があるかも、疑問ですが。蓮池さんも、「拉致問題」という言葉を人ごとのように使っていました)の家族にしても、その後家族を拉致された悲しみや屈辱が快感に変わって被害家族の立場にメロメロになるなどということは、有り得ないでしょう。
家族が拉致されたお陰で得たものと言っても、せいぜい他の被害家族と親交を深めて共に戦うとか、多くの支援を仰ぐことができたとか、やっとのことでつかんだ励まし程度のものしかないでしょう。ましてや、拉致の可能性が高いにも拘わらず、いまだ拉致認定されていない多くのご家族の方は、そういったサポートすら受けるに到っていません。
そういう意味からも、適切な比喩であるとは思えません。