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(回答先: Re:阿修羅には キリスト教専門家いないんすかー!? 投稿者 ナンジャモンジャ教 日時 2002 年 10 月 17 日 06:10:21)
イエスの言葉とされる「カエサルのものはカエサルに返せ」というのがありますよね。
これは利子取得はおろか、貨幣経済そのものを否定した言葉だと受けとめられます。
また、旧約聖書もキリスト教の一部ですから、出エジプト記や申命記にある言葉はキリスト教をも縛る言葉でもあることは明白です。
私が不思議に感じるのは、なぜ利子取得というか金融行為をそこまで特別視しなければならないのか、という点です。
金融とは何か、と考えて見ると、それは金のあるところからないところへ融通し、そのことに対する対価(利子)を
得ることに他なりません。カネとモノを入れ替えてみると、モノのあるところからないところへ融通し、そのことに対する
対価(利益)を受ける、即ち商業そのものです。つまり、金融の本質は商業と全く同質であると考えられるわけです。
もう少し突っ込んで考えて見ると、工業(産業)も営利を獲得するという意味で本質的には商業や金融業と変わらない事が
分かります。
誤読かも知れませんが、あっしらさんの議論を拝読すると、産業はモノを産み出すから価値がある、商業はそれを
単に動かすだけだから価値が少ないがまだモノとの繋がりがあるだけマシ、金融は文字通りカネを動かすだけで
何の価値も生んでいない、という素朴な経済観が反映されているような気がします。
イエス・キリストの時代ならともかく、現代社会では製・販・金融のどれも皆必須の機能であって、金融行為のみを
問題視することはできないのではないかと思います。金融を否定するなら、論理的には上述のように営利行為全体を否定
するしかなくなり、自給自足経済とか、非貨幣経済を志向せざるを得なくなるのではないでしょうか。