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(回答先: Re:めそめそうじうじ、 泣き言くりかえす帝国軍人 投稿者 この人の泣き言は今後もつづく。 日時 2002 年 10 月 15 日 04:19:13)
私は人間らしい人間は体験や思索などを通して何らかの内面
的・(行動や立場における)外面的変化をしたり何らかの価値
観や思想を発展させたりしながら生きているのだと思う。
一つの社会も同様で、歴史的事件・経験や社会的試行錯誤を
通じて一般通念や社会の根本理念・社会システムや様相などの
すべてにおいて変化や発展をし続け、それまでの歴史的いきさ
つから現在のようになっていることはいうまでもありません。
ですから、現在や未来の認識や判断のために過去に起きたこ
とを問題にすることは少しもおかしなことではなく、とくにあ
る過去の出来事が現在の内面的・外面的状況を決定づけている
場合は避けられないと思うのです。
それに価値判断には「あれは良い・悪い」、「これは嫌だ・
あれが理想的だ」、「これは憎むべき恥ずべきことことだ・あ
れは好ましい賞賛すべきことだ」という要素が基本的なものと
して含まれます。
一個人も社会もそういう価値判断を問題にするのが当然であ
り、また必要でもあるわけです。それがなかったらルールも作
れないし、社会的(集団的)な行動の基準も失ってしまいます
。
ですから、いちいち過去のことについて価値判断を加えるた
びに「泣き言」がどうの「被害者意識」がどうのと言ってそれ
を罵っても無意味かつ有害なことです。人間は過去についても
現状についても価値判断して当然なのです。また、そんなこと
で思考停止・議論停止していては現状を的確に認識し判断した
り、今個人や社会が何をすべきかを考え判断したりすることも
できなくなってしまいます。
あと最近私は思うのですが、あまりにもひどい過去および現
在の他国による日本へのしうちに日本政府も日本人も無反応・
無頓着であるならば、それは日本人が自尊心も国民(同朋)意
識も道義も人間性も持たない遅れたもしくは下等な人間である
ことを意味しないでしょうか。国際的にはそう判断されかねな
いし、実際そうだとも言えます。
たとえば、日本が歴史的にどのような形でアメリカに支配さ
れ従属して来たかを確認し、今後どのような形で日本の主権や
財産、自由や安全をアメリカから侵害されるおそれがあるのか
を考察すれば、個人や集団は「それではどのような方法で現状
から脱却できるのか、それともするべきでないのか」をより自
覚的かつ的確に問題にすることができます。
それに、仮に脅されてイラクなどを攻撃するようなことがあ
った場合でも、国民が「遅れた悪いイスラム・フセインに正義
の鉄槌を食らわせてイラクに民主主義の福音をもたらしてやる
のだ」と思ったりしゃべったりするのと、「我々はアメリカ・
ブッシュの制裁怖さに憲法も人道も無視して直接の関係はない
イラク人を殺している最低の奴隷だ」と思ったり話したりする
のでは大きな違いがあるのです。前者のような現実を否認して
他国の暴力・殺戮に加担するやりかたは、より根本的に深く日
本社会の文明のありかたや人心を傷つけ病的にしていきます。
後者は惨めですが、対外的な見栄えや国民の自覚などによって
そこから抜け出す可能性がより大きくなります。