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(回答先: Re: マルクス主義経済学のモデル構築の基礎はアメリカ先住民社会組織論 投稿者 カレラ 日時 2002 年 10 月 08 日 18:54:00)
「マルクスとエンゲルスがアメリカン・インディアンに興味を持っていたというのは面白い深い話ですね。」
マルクス主義経済学が先住民社会をモデルとしたことが認識されていない現状を非常に残念に思っています.ただ一方マルクス主義経済学が物質主義という西洋文明の基本的価値機構に根ざしながら考究していたところに、近代経済学と同様な深刻な問題をはらんでいます。
「アダム・スミスが言及した「利己心」というのは近代そのものの根源という気がします。近代というのは、ルネッサンスで「本音の全開」を肯定し、大航海時代でその利己心(他からの収奪)を外国にまで広げ、宗教改革でキリスト教の重石がなくなったところに端を発してますよね。」
まあそうなんですが,ただ,利己心は帝国主義政策・植民地政策・奴隷制度を取っていた古代ギリシアそして、惨いほど激しい収奪を方法論としていたバイキング,彼らの欧州大陸で定着してなったアングロサクソンなど,ヨーロッパは,移管して物質主義にもとづくむき出しの利己心を文化文明の特徴としています。近代になって利己心がめばえたわけではありません。ただ,利己心が学術の技術的用語で正当化・美化・栄光化されることで社会的にも正当化されたきっかけはマンデヴィルを基礎としたアダムスミスです。「諸国民の富」が刊行されたのとアメリカ独立革命がおきたのが同じ年で,たいへん象徴的です.その後作られたアメリカ憲法はアダムスミスの経済理論と先住民社会の政治原理である,民主主義の理論(ヨーロッパには実質的な民主主義の経験がそれまでありませんでした)を導入して価値規範を編成しました.この段階ですでに利己心と物質主義をベースとした資本主義の論理が利他心と精神的価値をベースとした先住民社会発の民主主義の価値を抑圧してしまい,民主主義は欧米社会に導入されたと同時に窒息し,機能不全に陥ったまま今日に至っています.現代憲法の空間で実は民主主義は空洞化しています。例えば,政策決定は実際はどの国でも一握りの人間が談合で決めることができる状態なのです。日本でも与党三等のトップと官僚のトップ、経済界のトップの数人のボス談合で全てをきめることができるのです。陣笠議員や野党、民衆が何をほざこうと関係ありません.これはアメリカでも全く同じです.民主主義が民意をあらわすという意味で機能している地球上の現代国家はひとつもありません。アメリカの主張している民主主義は民意を反映する制度ではなく,民意を無視して一握りの人間で政策決定ができるメカニズムのことを民主主義と美名で呼んでいるにすぎません。
「利己心が社会の原動力でなくなるには、やはり近代が終わらなければならないんでしょう。それも相当破滅的な終わり方をして、新しい別の価値観が立ち上がって来る必要があるように感じます。」
利己心や欲望を一定の範囲に制限できる制度をつくる事が大事です。税制でいえば,るい進課税,相続税などで,いくらもうけようと,税金で持っていかれる,だから,利益を最大化する試みを持っても意味がない,という形で,欲望に天井を儲ける必要があります。医者などでも,収入に天井を儲けることで,儲け主義医療をさせない必要があります.このような政策はすぐにでもできるものです。
無制限の利己心は破壊的な作用を持ちます.人間と人間の関係を破壊し,人間と自然界の関係を破壊します。
アメリカのイラク戦争は,大統領を4人から5人取り替えながらすすめる戦争の端緒である,と支配中枢は既に表明しています.つまり,30年戦争をする、というのです。30年使って,アラブ諸国の政治体制を破壊し、経済権益を樹立しようというわけです.この再発生する暴力の連鎖が世界の破滅的な終焉を引き起こし,つまり近代は終焉をする,ということを視座にいれて、イラク戦争を支持されるなら、そうとうにあざとい未来派ですねカレルさんは、行司、参りました(笑)。
わたしとしては,破壊的なことを回避しつつ,近代を超克できるための英知を模索する苦労をいといたくはないですね。