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《ボク達が少年時代,日本の軍部はいつも「的に甚大な損害を与え、わが方の尊称は軽微」と報道して来た。これを大本営発表といったが,現在の北朝鮮の国営テレビのアナウンサーと同じ,妙に力んだ一本調子のアナウンスであった。皇国少年のボクらはそれを信じ,日本は勝っていると,最後の最後まで思っていた。そして、「この戦争は負ける」と電車の中で友人に話したボクの父は,特高(特高警察)にひっぱられ、スパイ容疑で顔が変わるほど殴られた。おそらく現在の北朝鮮の情況は,あの頃(たった5,60年前)の日本と同じだろう。》(週刊現代10/12号大橋巨泉コラムより抜粋)
確かに現代北朝鮮はかつての日本の絶対専制体制とおなじだ(大枠でみれば)。日本の過去の絶対専制体制を批判できない人は現在の北朝鮮を批判できるはずもない。当時の日本の「偉大なる首領さま」=「天皇」を拝尊し肯定し、あるいはまた、一時的であれ専制体制・独裁体制を願望する傾向の日本人は「偉大なる首領さま」を批判できないし、現時点での世界の「偉大なる首領様」である,世界支配層(米英金持ち)を批判できるはずもない。こっちの専制は正しくてあっちの専制は間違いだ、とはいえないだろう。人格崇拝や特定の人間や家族を尊崇の対象とする特別扱いすることは間違っている、だから金日成よ、あんたそれやめよ、と日本側が原理的に批判できる日は来ないだろう。少なくも、戦前までの日本の体制を意図的・政治的にコピーしたのが金日成・金王朝なのである。日本人は,過去の自分たちの政治体制を現代の北朝鮮という鏡をとおして写し出しているのだ。近代日本は対外的な勢力に対抗する上で、人々の自由な意見表明の権利を守り,人々の英知を総結集し人々の主体的な決断をまとめていくという政治方法論を選ばす、「絶対的専制」=人々から自由を奪い暴力で指導者に従わせる、というやり方を選択した(ただし武士あがり指導層)。これが,アジア世界では,いまだ直接間接手本となっており(そうした意識構造を無意識に維持)、金日成は当時の日本の体制をあまりによく知っており,ミイラ取りがミイラになったのだ。人格崇拝や特定血族を崇拝ないし特別扱いするという考えが正当であるという考え方を強くもっていた「過去の自分」がその考えがまちがっているという理解に達していない,その意味で十分に変化を遂げていない「現在の自分」を襲っている結果が拉致事件という現象なのである。
金王朝・金正日に,われわれ生き残りのためには,支配層(支配者)を神格化させ,人格崇拝の対象とさせ、特定家族を特別扱いし、絶対的専制体制にして,周辺国の人々を殺したり(キムヒョンヒ航空機テロ)、拉致したりせざるをえないんだ。おたくの国だっておんなじようなことやってたじゃないかむかし。そういわれたらあなたはなんと答えることができるのか。特定の血族を法的にも事実的にも特別扱いすることに「原理的に」何の問題があるのか、と反論されたら?
この問題をクリアできないうちは日本人が拉致されるという現象は姿を変えて繰り返し繰り返し我が身に及ぶだろう。この問題をクリアできないうちは日本がアジアで政治的に指導的な立場につく日は来ないだろう。ましていわんわ,世界を新しい枠組みで政治的に導く日など永遠に来ないだろう。現代世界の最大の問題は富の格差,社会的扱いの格差であり,その格差がいっそう悪化している。特別な人々は特別な扱いや境遇を受けてしかるべきだ,というレトリックが世界の支配層グループ,つまり王侯貴族と超金持ちによって形成される米英リンケージが主張するレトリックでありこれに対抗する論理を日本として打ち出すことは日本国憲法上「原理的に」不可能だからだ。
日本が米英支配層のレトリックに抵抗できるかいなか。世界に平等社会を樹立する新しい政治的原理と枠組みを対抗的に樹立するうえでその最大のくびきが実は日本国憲法の第一条になっている。米英指導層に対抗できないばかりか,「拉致」という現象は,姿を変えて,しかし,象徴的に繰り返されるだろう。金正日の質問に誰がまともに答えられるのだろう。
特定の人間を特別扱いする考え方(金持ちや特定エリート家族が民衆を支配する権利があるという考えふくむ)が引き起こしている事件。それが,拉致であり,外資をつうじての米英支配層による日本支配という現象だ。
あなたが日本人を拉致したのだ。あなたが,米英支配層を招来しているのだ。あなたの最大の敵、それはあなただ。