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三井物産の問題、トーメン、日商岩井、兼松の衰退、など総合商社の地位も低くなってきている。
昔は、100円ライターからピーナッツ、航空機までありとあらゆるものに手をそめた巨大企業である。
総合商社というのは本来は大企業グループの潤滑油みたいなものである。川下の産業が製品を出荷したり、材料をてにいれたりするのに商社にマージンをはらうようにして決済の保険をかけているのである。
よくメーカーの人が、商社勤務の実態をみて何をしているのか理解に苦しむという。ただ、伝票の整理をしているだけである。
また、新入社員にしても3年いて商社の構造をなんとなく理解できるぐらいあいまいなものだ。
高度成長時代は、商社のなかに天皇と取引先からいわれた人物もいた。何故か。それは形なりともリスクを担当管理職がもっていたからである。それも石油ショック後、リスクをとらなくなり低マージンによるno−risku商売に徹した。これは国内businessの場合だが。景気がよくなり取引先の商売が大きくなるほど社員一人あたりの金額も大きくなり当然マージンの総額も大きくなった。ただ、大企業のメーカーからみれば、商社に取引先の信用枠をとりつけるだけでいいから、商社のほうに目をむけていなく、ほとんど相手にされていない状態になってしまった。
総合商社はみずから商売をつくり儲けることを捨て去ってしまったのである。総合商社にとっては、ODAというのは考えなくても儲かる格好の材料なのである。
伊藤忠商事の社内改革のテレビを以前NHKでみたことがある。社員は、一流商社マンという名、給料が高く、世間的にも箔がつくということで伊藤忠に入社したが、数年たって会社が傾き愚痴を社長の前でなげいた場面があった。
社長は、社員の前で愚痴やなげいても仕方がない。今後どういうbusinessをしていくなか、創造していくのか話し合って欲しいとつげた。
このやりとりは、市場主義のなかで企業が大人になっていない証拠である。会社というのは、儲けてなりたつのである。儲けるとは、人を喜ばすことである。
総合商社も銀行と同じように資本のない企業に担保をとろうとする。なぜならば、メーカーから仕入れるには商社をいれなければ仕入れができないからである。衣料品であるならば、糸、原材料、縫製の間にどれだけ商社にマージンが小売価格にはいっているのだろうか。
最近は商社も仕事の形態がかわりつつあるときいている。川上のbusinessにも積極的にのりだしている。しかし、いまだに旧態のままである。
日本経済が再生するには、この旧態の商社をはずし、メーカーとして立ち直ることである。自動車にしてもそうである。巨大な力があるにもかかわらず、鉄、アルミなどの原材料を商社経由でかう。他にメリットがあるかもしれないが、市場主義のなかでは無用の産物である。