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(回答先: Re: 天海=光秀説についてなにか知っていたら教えて下さい 投稿者 デスラー総統 日時 2002 年 9 月 16 日 09:12:51)
次のような情報がありましたので。
徳川と明智
徳川家光は徳川家康と於福の間に生まれた子
二代将軍と於江の方には長い間、男の子が産まれなかった。
家康と於福の子を二代将軍の子としたのではないか。
周囲は家光より二男を跡継ぎにしたがったが二男は自害させられた。
於福の家康への直訴により家光が後継と決まった。
於福は明智光秀の重臣の娘。
徳川家康から家光まで三代にわたり助言してきた天海は明智光秀の息子?
徳川家と明智家は深いつながりが有る。
かごめかごめは徳川家と明智家のつながりを詠んだ歌。
明智光秀の生地を中心に正面に家康が葬られている日光が有り、
後ろの正面に岸和田の長楽寺。長楽寺に日本唯一の光秀の自画像が有る。
長楽寺の境内に赤城山を模した所が有り、近々そこを掘る予定。
そこに埋蔵金が埋まっている所を記した書物が有るかもしれない。
赤城山は100兆円の徳川埋蔵金が埋まっているかもしれない所。
こないだ、日光と天海僧正のテーマの時少し出てきていました。
もともと、天海=明智光秀という説があってその謎解きで少しでていたのです。
覚えている範囲で書かせていただきます。
かごめ(籠目)は竹などで編んだ目の形が六角形で、これは、日光、江戸、駿府、土岐(明智家由縁の場所で岐阜のあたり)あと2カ所は忘れましたが、線で結ぶと六角形(籠目)になるそうです。
後ろの正面は土岐と、その正面日光(だったかな?)を線で結んで延長すると大阪の岸和田になるそうです。
その岸和田にあるお寺(名前は忘れました)に明智光秀の息子が出家してたそうで、その人物が天海ではないかと解説していました。
夜明けの晩に鶴と亀がすーべったの解説も有ったのですが、忘れました。
内容は、上に書いた内容に関連したことです。
こじつけっぽいところもありますが、番組でやっていておもしろかったです。
かごめの他にも、「いろはにほへと」で何文字か忘れましたが規則的に文字を抜いていくとある言葉になるそうです。
それと、京都の通りの名前の歌にも謎があるそうです。なんせ最後が、「とどめさす」でおわりますから。