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週間現代にこの記事がでていた。30年間自分の働く銀行にも仕事にも、大変な誇りをmつことができた。これは本当に幸せなことでした。しかし、最近10年間に入行してきた人達は、私が味わった誇りを味わったことがない。
誇りとはなにか。キャノンの社長、豊田自動車の会長もこの言葉をインタビューで口にしている。たぶん企業不祥事が続く中で自問自答しているのだろう。
人間だれしも誇りがある。しかし、窮地にたさたれている人間は誇りも面子もすてさる。そうしないと生きてはいけないからである。公的資金で窮地を助けられ、国民に低利率の預金をさせ、高額な業務手数料を払わせ、株価も公的資金によってささえられ、消費者金融には莫大な資金を提供する。行員には、いまだに高給をしはらい、低利率で貸す。
本当にどんな誇りがあるのだろうか。誇りよりも今の銀行員は、国民のサービスのために知恵を働かせしゃにむに働けといいたい。国民にサービスすることが、公的資金をかえすことと同時に必要なことだ。
邦銀に関しては、日本の国民からの信頼以上に海外の信頼がない。債権放棄は、たしかに銀行にとっては痛手だが、国民のサービスではない。また、債権放棄をした会社も市場主義のなかでなら再生することは不可能である。いつまでたってもそこの社員は自立しない。
日本の銀行が多すぎるのか。当方はそうではないと思う。ただ、どの銀行も護送船団で同じ顔をしている。特色がない。すべてが、ほとんど横一線である。
商売をするときに何が一番大切か。顧客を喜ばせることである。銀行の場合、預金者であり、融資先である。今の銀行は、預金者をこまれせ、融資先を貸し剥がし、融資利率を引き上げ、逆のことをしている。そして行員だけは、高給をとりつづけている。
これが誇りだろうか。ダイエーがつぶれたら、他に波及する。あれだけの規模の会社だから信用不安が蔓延し、経済活動がさらに沈滞するという。たしかに一時は沈滞するだろうが、日本は戦争にまけた後再興したではないか。命までとられるわけではない。ダイエーがつぶれても必ず新しい経済が復興する力を日本人はもっている。
既得権益を守ることが経営ではない。新しいものを構築することでいき続けていくのが経営だと思う。