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(回答先: はじめまして 投稿者 ユートピアコレクション 日時 2002 年 8 月 22 日 02:02:02)
> 特講・研鑚学校というかなりフツーでない特殊状況の元での決意が参画につながった
>というのはわかりますか?
いわいるマインド・コントロールのことでしょうか?
これは、認めがたい考え方かもしれません。
これは憲法の序文ですが「権威は国民に由来し、権力は国民の代表が行使し、福利は国
民が享受する」と書いてあります。主権在民ですね。この主権者を何者かが支配すると
なれば、すでに主権者をは言えないはずです。社会契約法の立場から、契約の大前提に
は個人の自由意思があるわけでしょう。心身喪失(重度の精神病、薬物乱用など)など
の例外規定はありますが、こうした自由意思が簡単に、無自覚に喪失するものだとすれ
ば、法の根拠そのものを破壊することになりかねません。従って、マインド・コントロ
ールが法的に認められる可能性はないでしょう。(あったら大変なこと)
もう一つの問題。特講、研鑚学校で精神状態が高揚したり、不安定になったりするとい
うことはありえることです(当方も経験者)、でも精神が不安定になったり、高揚した
りすのは、特講や研鑚学校だけでしょうか?サッカーのワールドシリーズを見たり、失
恋したりしたら、この場合は平静でしょうか? 特講受講者は15万人とも20万人とも
言われています。これらに人達は皆マインド・コントロールされたのでしょうか?
人はそれぞれですから、特に暗示にかかりやすい「そう思わされやすい」、そういった
人もいるのかも知れません。ですが、どうでしょうか?
こういった人がヤマギシを辞めて出てきて、何かの契約をする機会があったとする。ま
た「そう思わされていただけ」と反故にする可能性はないのでしょうか?一度あること
は二度ある。この人が人命を預かるような職業、たとえば医師だったらどうしましょう
?。心臓かなにかを間違ってチョン切って「これは盲腸だと思わされていただけ」とか
なんとか言い出したりしないのでしょうか?
マインド・コントロールは責任逃れには便利な言い訳でしょう。ただ、これはその後の
社会生活の信用失墜を代償としなければならないことは当然のことです。もし責任逃れ
が社会的信用の失墜を伴わない、という感性が存在するとしたら、そのことこそ社会問
題だと言いたい。
勿論、このことはヤマギシ相手に裁判をするな、ということではありません。ただ、マ
インド・コントロールを理由にはするな、ということでしょうか。