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(回答先: はじめまして 投稿者 ユートピアコレクション 日時 2002 年 8 月 22 日 02:02:02)
「研鑚を哲学する」(笑)いや大袈裟なタイトルです(笑)
なんでも哲学がブームらしい。例によって本屋の陰謀であることは違いないところ。
ちょっとビックリしたのが、先日電車の網棚で拾った少年マンガ。出てるんですね、
あのソクラテスが(笑)
ちょっと凄すぎるシチエーションですが、”なんとがゴラス”とかいう雄弁家が、グラ
スを片手に美女を侍らせ、儲けた報酬を数えているんです。ムネオみたいなヤツだよ
ね。そこに、現れたのがソクラテス。ソクラテスの弁証法で「心とは何か?」といった
質問をそれとなく浴びせかける。「偉そうにしているが、結局、連中は何も知らんのじ
ゃないかと。もうアホかと。それでも私は自分が無知であることだけは知っている」と
いうのがソクラテスの言い分。これが有名な「無知の知」ですな。
ギリシャの三大哲人といえば、ソクラテス、プラトン、アリストテレス。こうした人々
の台頭にもやはり背景があった。ギリシャ、アテネといえば民主主義の発祥地です。そ
の民主主義が腐敗した。この時代活躍したのがソフィスト達。本来の意味は知識人、教
師だそうですが、現在では詭弁家と訳されていて、ウサン臭いヤツのことをいいますが
こうしたソフィスト達には共通の傾向があって「絶対的な真理とか善といったものは存
在しない」と考え、その結果、現世利益や人心掌握術、説得術、修辞学といった人を
動かす為の方法論にのみ傾倒することになった。体表格のプロタゴラスは「人間は万物
の尺度である」といいますが、このことは逆に言えば「人間を動かすことができれば
、あとはどうにでもなる」ということで、これはもう唯政治論とかいうべきもの。
この腐敗した政治に呆れかえり、絶対的真理を求めたのが、ソクラテスとその弟子たち
ヘレニズムとヘブライズムの融合が今日の西洋文明の基礎であることは常識の部類だ
から、”疑うことから科学が始まった”とする解釈、それはないでしょう。
ところで『宗教を研鑚する=ヤマギシズム出版』より。
>人間の考えが及ばないところに宗教が生まれるもとがあると考える説がある。し
>かし、よく考えてみれば、人間の考えが及ばない範囲について仮説、あるいは虚
>構を作りだし、その仮説や虚構に基づいた説明を信じたり、信じさせたり、なに
>かを仮定して考えてそれを不動の真実であると思いこむところに宗教が発生して
>いる。従って、人間の考えの及ばない存在自体が宗教の発生源ではない。仮説を
>仮説として正しく認識し、それ以上のもの(真理)と思いこまなければ、信じる
>あるいは絶対視することなどあり得ないし、人間でわからないことについては、
>今ところわからないとする態度で臨めば、宗教の生まれる余地はないのである。
『宗教を研鑚する』のロジックは案外簡単なものです。
@信念を持つこと自体、悪である。
Aオマエは信念を主張している。
Bオマエは間違っている、故に、私は正しい。
相対主義そのものでしょう。これはヤマギシというどちらかといえば、非常識な団体
の中堅イデオローグによって書かれた本にもかかわらず、驚くほど現代日本人の常識に
合致してしまうところがあります。にもかかわらず、こうした論法がヤマギシ以外で使
われないのは何故か?これは簡単! 結果が解りきっているからですよ。
@を認めてしまえば、Bは政治的な力関係のみで決まります。とすれば、力関係に劣っ
ていると感じた側はまず@を認めない。力関係が対等な場合は「オマエには我執がある」「そういうオマエこそ我執だ」と延々水掛け論をやってお仕舞です。逆にいえば、この
論法を通用させる為には相当、権力的な関係を作らなければ無理ということも出来ます。
ヤマギシズムが宗教として、つまりヤマギシ実顕地以外で普遍思想として通用しない理
由はここにあって、
C現代日本人にとって、あまりに、ありきたりなこと。
D権力を持っていない場合には何の役にも立たないこと。従って、ほかの新興宗教の
ように、不満分子を結集して組織するといった求心力は期待不可。
ところで、気になっているんですが、へラクレイトスが言ったとかいう「万物は流転する」って、もしかして「無固定前進」のこと?
たとえ研鑚会で誰が何を言おうとも『地球が太陽の周りを回っている』とか・・