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人類の寿命
我が人類は今から約500万年前、アフリカの奥地でチンパンジーと共通の祖先から分化
し、居心地いい樹上生活をすててサバンナに向かって、その独特の二本の足で歩き出し
た。二本の足で歩くことによって巨大な脳を支え、体を支えることから自由になった手
を器用に発達させた。
生まれたころの人類は文字どおりいくつもの人種にわかれていた。ネアンデルタール人
や北京原人の祖先は我々の人類とは異なった種らしい。最新の遺伝子の研究によれば現
存する人類は約200万年前アフリカに住んでいた、たった一人の女性(イブ?)の子孫
なのだという。人類は文字どおり兄弟だったのだ。
平和とも豊かとも言えなかったが、我が人類は500万年ものあいだ強大な他種に劣後す
すことなく生存競争を生き抜いてきた。また、このころの人類は紛れもなく自然の一員
であり自然そのものでもあった。理不尽にもウサギの生命を奪って食用としたが、自ら
をライオンの栄養に供したりもした。
事情が一変したのは農耕の発明である。今から約2万年前メソポタミアのどこかで人類
最初の農耕文明が発祥した。タネを蒔けば実がなるといったアバウトな農耕であれば、
それまでにもあったに違いない。ただ、この文明はそれまでとはまるで異なる文明であ
った。乾燥地帯であるメソポタミアでは、穀物生産とあいまって食物の保存を容易にし
た。つまりここに富が発生したのだ。保存食物は不作をリスクヘッジし人口の安定化に
寄与した。また、食物が保存可能になることによってはじめて余剰生産へのインセンテ
ィブが生じ、人々の関心はさらなる富の蓄積に向かった。
富が蓄積されればこれを奪おうとするものが出てくる。ちょうど草食獣を食料とする肉
食獣のように。勿論、生産者が略奪者に無抵抗だったわけではないだろう。余剰生産物
をペイして七人の侍のような屈強な兵士を雇用し防衛に当たらせたかもしれないし、あ
る場合には略奪者が生産者の支配者として君臨する場合もあっただろう。どちらにせよ
強大な軍事力を維持するには、強力な余剰生産力が不可欠だった。
かくして人類は複雑怪奇な発展をとげることとなった。
石原>先生、人類はあとどのくらい生きられますか?
教授>あと100年・・・
石原>そうですか・・・100年・・ですか・・・
ほろ酔い気分でうろ覚えだが石原慎太郎都知事と某宇宙物理学者との新春対談でのこと
勿論、根拠の明確な数字ではないだろうが、”あと100年”といえば今年生まれた子供
が100歳になるときにはもう人類は滅亡していることになる。末期ガンの宣告をうけた
らさぞかしこんな気分だろうか。それにしても妙にリアリティのある数字だ。
教授>農耕を始めたときから人類はまるで別の種になってしまった。狩猟生活だって
十分な比較優位はあったんですから、農耕さえ知らなければ人類はあと500万年
は生きられたんです。
そんなこといまさら言ったって。しかし、対策はあるという。
教授>人口を1000分の一くらいにして、文明の痕跡は全部ぶち壊す。
なんと恐ろしいことを・・・
石原>政治的に無理だ。そんなこと言い出したら気違い扱いされて即失脚だよ。
もはや選択の余地などないのだろう。人類はとことん進歩してそれでだめなら潔く滅亡
する以外にない。多分、これが諦観だ。
人ごとでさえあれば文明の終末もまたロマン。そういえば手塚治虫の『火の鳥』にこん
な一説があった。糞で作った家に住み、腐敗ガスをエナルギーとして暮らすカタツムリ
文明(有名なSFのパロディ、バローズ?)の最後の一人の辞世。
「みんな、賛成だとか反対だとか楽しそうにやってたのになぁ・・・みんなはどこに行
っていってしまったのだろう・・生きる意味など考えなければよかった・・ただ、生き
ていれば良かったんだ」