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これは少し前の自分の投稿に手直ししたものですが、「
小泉改革」に対する分析としては今でも通用するものだと
思います。
今は日本経済は基本的には上向きのサイクルに入ってい
ると思いますし、世界の投資家たちや資本主義体制自体も
日本経済のもつ実力と潜在力に頼って今後を生き延びよう
とする傾向が強くなってくるような気もします。
国債格付けの一件を見てもわかるように未だに日本経済
破壊とそれに続く日本経済のっとりという路線も国際的に
強固に存在しているようで油断できませんが。
* * *
日本の財政が先進国中で最低というのは統計のウソとい
う説を聞いたことがある。アメリカと日本は社会保障の制
度が他の先進国と全く異なるため比較しようがなく、あえ
て国の持っている資産を財政赤字と相殺させると日本の財
政は西ドイツよりも健全だとか。それは4年ぐらい前に聞
いた話だが、2年くらい前国の財政バランスシートを作っ
た時もそれほど悪くなかったように(百何十兆円の赤字)
覚えているが・・・。
構造改革と呼ばれているものの中身を尋ねてみれば、返
ってくる答えは緊縮財政とか民営化とか規制緩和とか合理
化とかの使い古しの合理性が疑わしかったり近年橋本政権
などの失政として否定されたスローガンばかり。小泉はそ
れらを全部一括して再利用するために「構造改革」などと
いうアメリカの偏見と政治的思惑によってつくられた差別
用語を掲げているわけだ。
1980年代にアメリカ政府の「おまえらの経済・社会は遅
れた不公正なものだからこちらが迷惑している。早く直せ
。」という恫喝によって「日米構造協議」が開かれた。
小泉の「構造改革」はその時に日米のメディアに現れた
「日本経済の構造改革」という日本を米政府の恫喝通りに
責めるスローガンが源流である。
この概念は生まれたときから米政府の責任転嫁と異質な
システムに対する無理解と利己的国益追求の手段としての
本質をもっていた。こんなものを旗印にして総理大臣にな
れること自体が、現在日本社会の精神状態がまったく主体
性とか自立性を欠いている証である。今のほとんどの日本
人には自分たちで日本や世界の未来を切り開いていこうと
する発想が全くないのではなかろうか。
小泉首相は「1・2%のマイナス成長は覚悟の上だ」な
どと前から言っているが、この長期不況下にそんな発言を
することの意味がわかっているのだろうか?
たとえば土地やマンションを買ったり家を建てたりする
場合、まだ価格が下がる可能性が高いならばとりあえず買
い控えることが多いのではないだろうか?
まだ不況から脱しないどころかもっと悪くなると首相が
宣言し、すなわちデフレもおさまらないという見通しが立
っている。こんな時に国民・企業の購買意欲や投資意欲が
高まるはずもなく、当然消費・設備投資・株価みな下がり
続けている。
そもそもここ数年来巨額の財政出動をしてやっと恐慌サ
イクルに陥るのを防いできたのだ。すでに社会を維持する
だけの消費をしなくなっている国民・企業の購買・投資行
動には、変化がないどころか小泉発言のせいもありより収
縮している。だから財政支出を前年比で減らした分から景
気悪化のサイクルが始まり、それは政府が金を出して介入
してもなかなか止まらないのである。
民間の経済的自立を助けない小泉の構造改革は、いつま
でもデフレの中で借金を続けるので「財政再建」という観
点から見ても逆効果である。
森総理をボロクソに罵って小泉を選んだのは日本国民で
ある。小泉の構造改革には実は隠された側面がある。
それは要するに愚民のヒステリーをガス抜きし、まとも
政治や経済に関する思考能力を持たない一般市民の改革志
向を大騒ぎで煙に巻くことである。
だから小泉の行う改革政策には実質的な意味のない看板
だけのものが多いし、宣伝の割には具体的な変化はほとん
どないものも多いのである。
そもそも小泉政権は自民党の人気取り・政権維持のため
と日本社会の「小泉のほうが民主党の連立政権よりマシだ
」という社会的意思の合作に過ぎない。
つまり一般大衆の知的・道義的レベルが国家を崩壊させ
る水準にまで落ちているので、まともな判断力を持つ人々
が社会維持の為にポーズをとるのが上手で口先だけで誤魔
化すのが上手な政治家を担がざるを得なかったのである。
勿論小泉はアホでもない限り自分のそういう役割をよく
認識しているものと思われる。だから彼の構造改革は、「
改革」とそれに伴う「犠牲」を声高に叫び続けるマスメデ
ィアと大衆からの社会防衛の為にやむを得ず合理的な理由
もなく行われている部分と、宣伝のために無意味かつ有害
に行われている部分と、彼の愚かさから本気で行われてい
る部分と三つに分かれるのである。