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http://www.asyura.com/2002/dispute2/msg/970.htmlに対するレスです。
>日本社会に大富豪は必要ありません。我が国はそういう国柄ではありません。従って相続税や贈与
>税は極端に高くて良いし、所得税の累進性は極端にきつくて良い。富豪の中でその体制に不服のあ
>る者は他国へ移住してもらって結構なのですが、国外脱出した富豪というのを寡聞にして聞きませ
>ん(笑)。やはり財産の多寡に関わらず日本は過ごしやすい国なのでしょう。このことは人間の本性
>である自分とその子孫繁栄を求める性向に反した行為であると短絡的に見るのではなく、その繁栄
>を築き上げる場としての社会を維持・安定させるための我が国なりのコストと考えるべきです。こ
>こら辺りがおかしくなってきた頃から日本の衰退が始まっています。
詳しくないんですが、相続税減税にはもっと実際的な理由があるのかもしれません。たとえば中小企
業が借金漬けで、息子が相続を放棄したら即不良債権だとか、ほかに資産のないマンション経営者な
ど破産の恐怖。としても、政治家のやってる議論は気に食わない。
相続税増税は社会主義だと言う。とんでもない。社会主義こそ極端な不平等(幹部は美食で糖尿病の
心配をし、他方、収容所の政治犯はネズミを食料として追いかけるといった)下でも存続することを
証明したではありませんか。まったくおっしゃるとうり。
平等(というより広範な購買力)が必要なのは、社会主義ではなくて、むしろ市場経済の方でしょう。
社会がものすごく豊かになって、貧乏人はステーキを食い、金持ちはクジラの丸焼きを食うといった
社会が実現すれば不平等でもかまわないのかもしれませんが、貧乏人がステーキを食えないほど貧乏
だったら牛肉売れないもんね。大量生産は大量消費の前提があればこそ。
相続税は100%にすべきだと思いますよ。そのかわり長期の分納を認める。事業を相続する場合もあ
れば、資産家の子供が優秀な場合も多いと思います。こういった人達には活躍して貰わなければなら
ない。ただし、多くを受け取るものは、多くの義務を負う、これでやっと交換主義が成立するのだと
思います。
参考、ヴェブレン『有閑階級の理論』より”財産について”。
財産そのものは、「略奪」や「相続」によるものほど「高貴で上品」なものではあるが、そのほかの
手段でも入手可能である。たとえば、安く買って高く売るという意味で「準略奪的」な商業取引によ
る莫大な譲渡利潤があった。さらに「勤労への従事」によって財を生産し、それを「私有財産」と
して所有出来るようになると、貧しく卑しい労働大衆まで「所有をめぐるゲーム」に参加し始める。
彼らは長い歴史を通じて「制作者本能」が染みついており、隣人よりも少しでも多く私有財産を保持
するという意味での「競争心」の世界が自由に解放されると、結果的に、社会で生産される富の量は
飛躍的に増加し始める。
しかも「競争心」は「妬みをおこさせるような比較」に由来するから、無限の推進力として機能し続
ける。「勤労と倹約」の勧めを説いたB・フランクリンやA・スミスの時代の出来事であった。
富の蓄積がさらに進むと「所有をめぐるゲーム」は新しい段階に突入する。富はたんに所有されてい
るだけでは十分な名誉をもたらさないこうして「顕示的消費」を行うことが、すべての社会構成員の
行為規範になる。
最高の名誉や名声の基準は、最も高貴で上品な「有閑階級」、つまりまったく労働せず消費だけする
という意味での「顕示的閑暇と顕示的消費」にいそしむ上流階級の生活図式である。
http://www.yk.rim.or.jp/~h_okuda/wwf/w19_keizai.htm