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「公衆監視カメラの普及」が実現する社会とは
Lauren Weinstein
2002年10月28日 2:00am PST 1967年に放映されたイギリスのテレビ・シリーズの名作、『プリズナーNo.6』の劇中で、パトリック・マクグーハン演じる主人公は、『No.6』とだけ呼ばれていた。彼は「村」と呼ばれる、孤立した、表面上は素朴で美しく、犯罪のない、海に面した共同体の中に囚われていた。
「村」の実態は、真の楽園とは程遠いものだった。隠しカメラや隠しマイクなどの機器が至るところに仕込まれ、住民を監視できる構造になっていたのだ。
No.6は常時、カメラの監視下にあった。行動や身振りのすべてが記録され、姿を見せない観察者によって分析されていた。
現実の世界にも、この「村」のような仕組みを21世紀の社会の好ましいモデルと考え、取締り当局にそれを実現させようと、着々と準備を進めている人たちが存在する。
ワシントンDCでの連続狙撃事件の巻き起こした不安に対し、犯罪やテロの専門家によるさまざまな勧告が、24時間放送のニュース番組から次々と流されている。彼らが繰り返し伝えているのは、監視カメラがもっとたくさん設置されていれば、こうした無差別攻撃からも、今や街中に潜んでいるとされる無数のテロリストが引き起こす惨事からも安全でいられる、という考え方だ。
ビデオによる監視に勇気を奮って抗議する人々への、取り締まる側からの回答は決まっている。公共の場所でプライバシーは期待されていないというものだ。
今日の技術でどんなことが可能かを考えると、この回答は全くナンセンスだ。
たとえば、君が外出するたびに、トレンチコートを着た不気味で小柄な男が後をつけてくるようになったとしよう。
男は君が行った場所やしたことを、すべてメモに書き留める。君が買い物をした店、訪問した相手など、見たものをすべて記録する。そして君が家に帰って窓のカーテンを全部閉めるまで、尾行を続けるのだ。
男はため込んだメモで何をするのだろうか? どのくらい保管するのだろうか? 他に誰があのメモを見るのだろうか? たいていの人はこのような状況に耐えられなくなるだろう。男を痛い目に合わせるか、もっとひどいことをしたくなるかもしれない。
現在使われている監視カメラと、その先にあるコンピューターや記録システムが持つ、大量の監視データを収集して保管する能力は、この不快な小男と同様の活動をはるかに大きな規模で実現してしまう。技術的に同じというだけでなく、筋の通った説明がないという点でも、きちんとした規制がなく、制御できないという点でもそっくりだ。
しかし、カメラとそれにつながる監視システムはあまり目立たない。しかも、監視カメラを使うことによって、さまざまな形で公衆の安全という恩恵が得られる。システムが使い物にならない、オペレーターがのぞき見をする、あるいはさらに重大なプライバシーの侵害につながる、といったリスクがあるにもかかわらず、大方は監視カメラの恩恵を喜んで受け入れているようだ。
何年も前から監視カメラが次々に設置されてきたイギリスでは、そのおかげで犯罪が減少したという当局側の報告に多くの独立系アナリストたちが強く反論しているが、国民はカメラによる監視をある程度受け入れているという報告がある。
このところ世界中で鳴り物入りで登場しているのが、コンピューターによる新しい人相認識システムだ。本来はテロリストや重要な犯罪者を発見する手段として開発されたものだが、現在では借金の踏み倒しなど、それほど危険ではない犯罪の捜査に利用することも検討されている。
その次には、図書館の本の返却が遅れたのに延滞料を払っていない市民が追跡されるようになるかもしれない。
しかし、これはあくまで想像上の話だ。監視システムのおかげで犯罪者を逮捕したという話をあまり耳にしないのには理由がある。現実の状況で使った場合、この技術の成果は決して華々しくないからだ。
管理されたテスト環境でさえ、被験者の頭が違う方向を向いたり、眼鏡をかけていたり、照明が不適切だったりすると、システムはその人物をうまく認識できなくなることが多いという。
人相認識システムの設定を鋭敏にしすぎると、口ひげを生やしているだけで全員をサダム・フセイン大統領とみなして呼び止める可能性がある。設定をゆるくしすぎると、オサマ・ビンラディンが米国海兵隊の兵士たちに紛れて見落とされるおそれがある。
『プリズナーNo.6』の主人公と同じように生きたいと考える人もいるだろう。つねに監視され、延々と分析され続ける生活だ。住民の暮らしは権力者たちの完全な管理下に置かれる。権力者たちは、人々にとって何がいちばんいいことかわかっていると公言し、プライバシーと引き換えに安全を約束する――その安全な生活がどれほど空疎なものであろうとも。
大勢の人たちが、すぐにでも「村」のような場所に永住したいと申し出るだろう。世界の情勢から判断すると、残った私たちも好むと好まざるにかかわらず、やがては「村」に行き着くのかもしれない。
http://www.hotwired.co.jp/news/news/culture/story/20021030205.html