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(回答先: 赤面の用語訂正 投稿者 むむ 日時 2002 年 9 月 05 日 17:10:02)
2600年近く、弟子達に伝えられて来た教えの骨格として、
「これをはずしたら、もはや仏教では無い」と言う、
究極の部分があります。
それが、前述した、「三法印」すなわち、
「諸行無常」
「諸法無我」
「涅槃寂静」
です。
この世で人々は有限の肉体を持ち、「生老病死」の四苦から誰一人逃れられず、苦しんでいます。
そこから逃れる方法として、仏陀は「悟り」の力をもって、人生を漕ぎ渡って行く道を説いたのです。
「諸行無常」について---------------------------------
「空」という、仏教の大切な思想があります。
これは、「霊的世界観」の事で、「悟り」の大事な智慧の一つです。
すなわち、「当然のごとく実在だと思われる、肉体や物質などは、ほんとうは仮の姿にしかすぎない」
「地上のありとあらゆるものは、実は根本仏の念いによってできているのだ。」
「その念いを伝えるための高級諸霊の活動があって初めて、この世界ができてきたのだ。」
これは、執着を取り去る為の修行方法でもあり、天地創造の秘密を解明するものなのです。
(「何も無い」と言う意味では無く、根本仏のエネルギーが時間のなかで変化して行くことを意味しています。)
ここで、「諸行無常」というのは、「人類の歴史、人々の営みのなかで、変わりゆく世界のなかにあって、変わる事の無い実在界の視点をつかみきった人間こそが、世界のほんとうの意味をつかむことができる。世の流れの虚しさを知る事ができる」というもので、単なる厭世的な思いだけを言っているのでは無いのです。
「諸法無我」について---------------------------------
悩みを断ち切る「悟り」の力のもとは智慧です。智慧の一つ「無我」は、「肉体はこれ我ならず=肉体は魂の乗り舟」という意味です。
(これを、我が無い=無霊魂説の根拠とする、現代日本の仏教学派は仏教を知らないという事です。)
煩悩も肉体を中心に出てくるもので、「眼・耳・鼻・舌・身・意」の六根煩悩から、いろいろな苦しみが現れてきます。
その煩悩は、ほんとうに自分自身の魂が要求しているものなのか、それとも肉体が要求しているものなのか、良く知って下さい。
自分の苦しみの根源をずっとたぐってみると、「他人から自分がどう見えるか」やプライドなど、すべてこの世的なるものが原因です。ほとんどが、このエゴのところなのです。
「実在界に還るために、今、修行をしている」という目で見るならば、この世的な苦しみのほとんどは断ち切れているのです。
「涅槃寂静」について---------------------------------
苦しみでがんじがらめになった物質世界において、「八正道」等の修行を通じて、魂を本来の自由自在の境地に自ら導くのが、「解脱」なのです。その結果として現れてくる平和の境地、天国的な境地、それが「涅槃」です。
「どの立場にあっても、それは、多くの人々を幸福にする仕事ができる立場なのだ。どこででも自分は磨けるのだ。」という自由自在に生ききる気持ち - 修行の心が大事で、幸福な毎日になります。
仏陀は、「私は決して新しい真理を発見したわけでは無い。これは、いにしえの仏陀たちの道でもあったのだ。彼等の歩んだ古い道を、私もまた見つけ、歩んでいるのだ。そして、あなたがたにも、私のこの道を歩みなさいと教えているのだ。真理というものは、永遠のものなのだ。」と、説いています。