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(回答先: Re: 「信仰」は馬鹿者のために。吟味的「思考」は利口者のためにある。 投稿者 ぱらどくす 日時 2002 年 9 月 04 日 02:36:05)
たとえば、キリストは十字架の上で一度死んだが、3日後よみがえった、という考えが書かれている文書を読んで、普通はそんなことありえないだろう?それ作り話だろう?という疑念を持つのが健康的な判断力、思考者。それを、まったく疑問に思わないまま、それを浮けいれ、信じるモードへ移行したのが信仰者、つまり馬鹿。復活はあくまで、象徴としての話と説明するのは少しお品のいい宗教詐欺者。
キリストは十字架の上で死んだが、それは実は一種の臨死だった。心臓も停止し、外見的には死んでいたが、実は完全には死んでおらず、NDE(NearDeathExperience)=臨死体験の可能性がある、との推定を、アメリカの大学院の図書館にあったNDE学会誌で読んで驚いたことがある。これなら十分ありうる。
宗教団体は聖典の批判的吟味を許さないのが普通。馬鹿を飼っておきたいから。権威を批判され、正当性がされたくないから。
真理の探求者は徹底して思考できる者のみ。信じる傾向が強い者は、真理探求からもっと遠い。真理探求は非常に訓練がいる作業。