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(回答先: Re: あの世(ボケ仙人さん、むむさんありがとうございました) 投稿者 加藤 3 日時 2002 年 8 月 21 日 20:18:39)
>その為、多くの人間が霊的修行(宗教?)を遠ざけ、批判的に なる理由があるのでしょ
う。そして、略奪、紛争等の現代社会の重い病気(問題)へと繋がっています
その点に関しては、ワシもそう思うぞ。哀れで切ないものがあるぞ。しかし、
>それを追い求め、極めていくことが、必ずしも現実の世界で成 功したり、裕福になったりはしません。
この点に関しては、何が成功で、何が裕福かという価値基準が問題じゃな。
ワシは危うく病・貧・争へと落ち行くところじゃったが、コンクリートジャングルの中 での精神的修行の結果、人並みの収入と安楽な地位をいただき、健康の不安もなく、争いもなく、家族も幸せで安心立命の人生を得ているぞ、この世の摂理は、決して霊界と全く逆ではなく、影響しあっている所も多いんじゃ。それゆえ、霊界を清めて行けば、人は皆幸せとなる。ただその幸せは、人を苦しめたり、悲しませて得る富でなく、人を踏みつけにする成功とは違うんじゃぞ。生きとし生けるものが調和し、弥栄えて行く中での成功であり、裕福であるから。極端な差は生じようもないはずじゃぞ。物欲に囚われるなよ。
限りない物欲がそうさせているだけじゃ。物欲を宗教や政治、教育などを隠れ蓑にして
表現しているだけじゃな。それを、イシヤの思想と言う。その意味で、多くの政治家を始とする人の上に立つ者共のレベルが低いのさみしいものじゃて。
最後に、ワシは仏教を軽く見とる者じゃが、例外的に空海さんだけは別格と思っとる。その言葉を送って今日は失礼する。
「生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く、死に死に死に死んで生の終りに冥(くら)し」
空海57才の折の著「秘蔵宝鑰(やく)」の序詞にあることばじゃぞ、仏教界の歴史には人物としては立派な方も多いが、法燈を思うと寂しいもんじゃな。空海のこの言葉の重さを感じる人も居ないようだぞ。この言葉を聞いて、落涙の思いとなってほしいもんじゃな。