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(回答先: ゴミを生産〜建築家について 投稿者 釜井@オリジナル 日時 2002 年 8 月 19 日 23:08:02)
釜井@オリジナルさん、こんばんわ
ぶしつけに印象から来る、疑問を呈してしまったことをお詫びします。また、ビルバオとパイミオを混同していた不適切についてもお詫びします。
しかしながら、丁寧にレス頂いたことにより、私の疑問に感じたことも少し明瞭になった様な気もいたしまして、コメントさせていただきます。
私は建築の専門でではないのですが、これらの方々とたまに仕事を共にすることがあります。その時に非常に疑問を感じるのが、設計の方々が自分の扱っている分野に非常に高尚なコンセプトを展開され、コンセンサスの得られないまま持論を展開し、受け止める側の多くも先生が考えられることには立ち入らないようにしよう。ただ使い勝手が悪くならないようにこちらの意見も少し言っておこう。と言う程度で何のために建築家を要しているのかわからなくなることがあります。
この時点で、建築家が社会の何を言おうとも、分断されてしまった意識の中では、彼らのコンセプトは仕事であるにもかかわらず趣味として受け止めざるおえない。本来の意味での説明義務、医療界で言うところのインフォームドコンセントに欠けている。と感じてしまうわけです。
私が記憶違いをしていたビルバオの開発担当者の方のお話を伺ったことがありますが、非常に印象に残ったのは「開発にあたって重要なのは政治的コンセンサスである」ということをと「建築のデザインの意味」を併存させて答えてらっしゃった事でした。
日本では倉敷の市庁舎が金の無駄遣いである。とか、東京都庁舎の建設にあったって、丹下健三氏と鈴木都知事の関係などばかり一般で取り扱いすぎるようで、これらがどのような効果(単に使い勝手といくことではなく)をもち、生活や社会における意味を持ちうるのか、持ち得ないのかについてもっと一般的にかたられるべきであり、金や政治に終始した視点を誇張しすぎるように感じます。そこから少しはみ出た程度の、建築デザインに関する私の意見は(普通の人よりも興味の視点があるかも知れませんが)ご指摘の通り、一般的としかいいようもないわけです。
しかしながら、一般人ながら、これからの社会において、様々な地域での土地、空間に対する人為的改変が大規模に行われる中で、広く一般の人々がもそれがつくられる事の意味を、そして、綿密に計画された空間の意味を専門家のあいだだけでなく、知る必要性があるのです。謙遜された言い回しで「これは私の建築に関する全くの個人的趣味と願望。」とおっしゃられるあなたのご意見が、「ザハ・ハディト」という固有名詞を持ち出された時点で、建築家が一般にもっと理解されるべきだという願望もおありなのではないでしょうか?
すくなくとも、建築を生業としない私にとっても、一般社会で経済行為やファッションとしてではなく、もう一つのビジョンとして経済と同様に空間の意味が深く語られる成熟した世の中であって欲しいものです。(たとえば、現時点で自分の仕事で事業計画を立てた時点で、建築の設計料は企画経費の中に組み込まず、工事費の中に組み込みます。これは明らかにこちらの考える社会性に設計者がコミッション出来ないと考えるからです。このことは、建築家が以下にその作業の重要性をアピールしても、残念ながら信用されていないことを意味します。本当に残念なことです。)
「★私の興味と関心はこの業界の背後に確実に存在する不気味な勢力。」と同時に新しい事業に対して取り組むべき可能性あるコンセプトの紹介あるいは考察も重要なことのように私には思えます。
私の言うビルバオにしても、ご紹介いただいたシンシナティ(英語が得手なわけでもないのでざっと目を通しただけですので、極めて心許ない理解ですが)にしても現代芸術を扱った物件と言うことで、その解釈がいかようにも受け止めることが出来てしまい、空間の是非を問うには、前提となる現代社会における芸術の意味まで掘り下げなければならなくなりますので、このサイトでの議論は難しく、ご意見のとおりだと思います。
しかしながら、デザイン論争と限定されるものでもなく、一般的なお話としての空間の是非も議論できる可能性も信じたいものです。また、機会があり、一般化された空間や環境の是非について、政治経済と同様に議論してみたいものです。
ご紹介いただいたサイトはゆっくりもう一度ゆっくり眺めてみたいと思います。ご紹介ありがとう御座いました。また、釜井@オリジナルさんの視点が私の意見でずれてしまったようであれば再度お詫びを申し上げます。