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(回答先: Re: あの世(むむさんへの意見・質問) 投稿者 加藤 3 日時 2002 年 8 月 20 日 10:02:43)
>仏教でも、思うがままにならないことを4苦と呼び「生・老・病・死」とあり、生きることは自分の思い通りにならないことであるとしています。
そのとおり。つまり、この世を修行場としているからなんですね。
あの世の様に、比較的自由な世界では、進化の速度がかえって遅いのです。(筋力トレーニングのウェイトと考えると分かりやすいです。)
過去の人生の膨大な経験も、人の心との自由なつながりも、思うだけで即、様々な事が実現する生活も、長い間にはぬるく、永遠の停滞すなわち不幸を生むのです。(結局、神の意志に反してくる。)
周囲は、自分のレベルや考え方に似た人ばかりであり、当初は良くても、さらに上の世界に昇るには、満足出来なくなってきます。
この世は、不自由であり、間違いも犯しやすいのですが、各自、自己責任で様々な新しい経験を積めます。さらに、あの世の実力ではほとんど会う事が不可能な高度な魂レベルの世界から生まれて来た先生役にお会いしたり、この世でとんでもなく地獄的な意識になって苦しんでいる方の姿も身近に見たりします。
それゆえ、この命ある限り、学び尽くそう、愛を与え尽くそうと努力するのが正しい在り方なのです。
採点結果は、あの世で自ら分かります。
>なぜ、完全というものを目指すのですか?
完全というからには、不完全という他の比較対照物があるわけですか?
ですから、魂が向上する過程が善であり、喜びであるからです。プロセスがある意味目的なのです。
(その時は必死だが、後で良き想い出となる経験はおありでしょう。その時どうすれば良かったか、後で必ず自分なりに分かるでしょう。次回、似たケースになった時,もしくはより難しい応用問題に出くわした時に、過去を良く研究して学んでいれば、より良い解決策に気付くでしょう。他人も含めて。)
比較対象物は、意識が限定されている現在の自分と、共に修行している仲間と、もとなる神なのです。どこまで神近き自分となったかで、自ら評価するのです。
(レベルアップすることにより、神や周囲の人々に対する認識もまた上がります。)
多少は参考になりましたでしょうか?