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著作権論争を傍観していてはいけない
By Dan Gillmor
Mercury News Technology Columnist
自分でルールを決められるのなら、誰だって勝負に勝てる。これがエンターテインメント業界を牛耳る者たちがデジタル時代の著作権論争に勝利しつつある大きな理由だ。
普通の人々は議論の蚊帳の外だ。とくに重要な議論においてね。政治力に満ちたホールの中にある業界とその財物に対して、我々は「消費者」に過ぎない。目の前に出された映画、音楽、本をただただ食べ、そして金を払う。
我々が業界の横暴、行動、あらゆる政治的な影響に挑戦したのははるか昔だ。今後数週間から数カ月にわたり、私はいくつかの提案をしていきたい。
我々が最初に行いうることは、エンターテインメント業界に、議論の条件を勝手に決めさせないことだ。業界は言語と論理をねじ曲げている。少しはバランスを取り戻そう。
スタンフォード大学法学部のローレンス・レッシグ教授によれば、業界の最も特筆すべき成功の一つは、2つの極端な選択肢しかありえないかのように議論の枠組みを固定したことだ。寡占者たちは言う。「ハリウッドとその周辺がデジタル音楽、映画、その他コンテンツの絶対的な支配を握るか、さもなければ無秩序状態となり、クリエーターたちの作品が金銭的に報われなくなるかだ」と。
絶対的な支配とは、著作物の利用者たる我々が何世紀にもわたって享受してきた、著作物の私的複製や引用といった公正な使用を含めた権利の抹消を意味する。つまり、社会の共有財産として残されてきたものを削り取り、これまで非常に多くの創作活動の土壌となってきた公有地を縮小しようとしているのである。
エンターテインメント企業は創作活動の死など恐れてはいない。恐れているのは、我々の文化の大部分を中央集権的に支配してきたビジネス・モデルの死だ。この仕組みによって、企業は法外な利益を獲得したばかりか、多くはその過程で創作活動をする人々の上前をはねてきたのである。
業界は、伝統的な権利を守る方向に歩み寄ることに全く興味がないことを、これまでいやというほど明確に示してきた。無秩序と創造活動の破壊という事態になってもいいのかとつきつけるおどし戦術を用いて、エンターテインメント企業は、議論そのものを抹殺し、歩み寄りの可能性さえも封じたのである。
歩み寄りの余地などないのかもしれない。技術革新が二者択一の選択肢を生み出すことは避けられないのかもしれない。
しかし、私は我々の権利を守ることができると確信している。それが守るに値する権利であることを、議会に納得させさえすればよい。公正使用や他の権利の支持者はほとんどいないか、いてもほんのわずかだろう。議員が一方の側の話にしか耳を傾けないということもある。だが読者、視聴者、学者、研究者と、その他著作権を「所有」していない大勢の人々からなるコミュニティーは、議論に少なくとも挑戦しなければならない。それをしなければ必ず困ることになる。
著作権業界は「知的財産」という言葉を口にするが、これは歴史と論理を逆にし、ひどく人を惑わす表現だ。
財産は、伝統と法によれば実体があるもののはずだ。しかし「知的財産」という概念は、自分のアイデアを所有し、それがどう使われるかを完全に管理できるはずだと信じる人々が、いいなりになる議会を利用して、比較的最近になって発明したものにすぎない。
八百屋のリンゴを1つ手に取り、金を払わずに店を出れば、それは盗みだ。実体のある商品、たとえばリンゴは営々と盗みの被害にあってきた。それでは購入していない歌を複製したとしたらどうだろう。所有者は対価が支払われる可能性を失うことになる。
ここで私は、他人の作品を大量に複製して売りさばくこと、例えば、中国に本拠を置くDVD工場が著作物を何万本もコピーし、安値で売りさばくことの是非を論じているのではない。それはもちろん犯罪的行為だ。自分で購入したCDをコンピューターや車で再生するための私的複製は、レコード会社の希望はともかく海賊行為ではない。
ある曲を聴きたいと思う人がお金を払わなくていいからとファイル共有サービスを利用することはどちらともいえない。DVD工場と私的複製の中間に位置付けられるが、業界はすべてを海賊行為だと見なしている。
海賊行為について考えるならば、我々はエンターテインメント業界の各企業こそが最大の海賊だということを認識しておくべきだ。
アメリカを建国した人々は創造への意欲を奨励した。合衆国憲法は明確に、作家をはじめ創造的活動を行う人々の権利を、公共の利益を増すという文脈で述べている。彼の文書によれば、議会は「個々の作品や発見について著者や発明者に期間を限って独占的権利を保証することにより、科学と有用な技芸を促進する」義務と権力を有する、とある。
この条項に注目してもらいたい。目的は科学と技芸の進歩を促進することだ。そのために我々が行っているのは、創作活動をする人々に対して、期間を限って創作の成果に対する権利を与えることであり、その後は公共のものとなる。そして、権利が与えられている間も、他者はそれを利用できるのだ。
議会はこの条項をねじまげ、著作権の期間を何度も延長してきた。今日の著作権保有期間は、事実上無限だ。業界通が皮肉混じりにいうには、ディズニーがミッキー・マウスから最後の1ドルまで絞り出すのに十分な期間ということになる。ウォルト・ディズニーが著作権切れの素材を使って財を成したという同社創立の皮肉な事情は、この複合企業体を運営している現在の経営陣には完全に忘れ去られている。
著作権者が既存の著作物の著作権期間を延長しようとするとき、これまで何度もそうしてきたように、公共のものになるはずの作品を取り上げ、私有化する。それは公共からの盗みであり、すなわちあなたや私からの盗みである。その額は間違いなく数百億ドルに達していよう。本物の海賊は誰だろうか。
ある程度のバランスを取り戻すには、我々自身を再教育する必要がある。そして業界の提案への対策を学ばねばならない。我々は議会を再教育する必要がある。その過程で、エンターテインメント業界が非常に上手に使ってきた戦術を一部取り入れる必要がある。
我々はハイテク企業の背骨を支える必要がある。そしてハイテク企業がハリウッド陣営の味方ではなく、その顧客の味方でいるように励まさなければならない。
なによりあなたの取り組みが必要だ。座して待っていてはいけない。このコラムから何らかの示唆を見出していただきたい。ご意見をお待ちしている。共に我々の権利を再発見し、子孫にそれを残そうではないか。我々にはそうする義務があるのだ。
http://www.asahi.com/english/svn/gillmor/K2002081700390.html