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【フランクフルト16日=貞広貴志】ベルリン五輪を記録した「オリンピア」で知られるドイツの女流映画監督レニ・リーフェンシュタールさんの半世紀ぶりの新作が15日夜(日本時間16日未明)、ドイツとフランスのテレビで放映された。今月22日、自らが100歳の誕生日を迎えるのを期に、執念で完成へとこぎ着けた。ドイツでは、リーフェンシュタールさんの芸術と政治的役割を再評価する動きも相次いでおり、「ヒトラーの映画屋」として戦後は冷遇され続けた天才映像作家の1世紀に、スポットライトが当て直されている。
「私の作品は水中世界に様々な色を持ち込んだ。他のフィルムは青と緑ばかりでしょう。全く台詞のない実験作品だから、一般受けするかどうかはわからないけれど」。読売新聞の書面インタビューに応じたリーフェンシュタールさんは、新作「水中の印象」の狙いをこう表現した。71歳で始めたダイビングで撮りためた映像を、独自の流れるような編集手法で45分にまとめた作品は、静かだが、色彩と叙情あふれる映像詩に仕上がっている。
前回のリーフェンシュタール映画の封切りは1954年の「低い土地」までさかのぼり、しかもこの作品の撮影自体は戦時中に行われている。戦後まともな創作活動ができなかった理由は、ナチス党大会を美的映像へと昇華させたドキュメンタリー映画「意志の勝利」などで、「ナチス協力者」の烙印を押されたことに尽きる。
リーフェンシュタールさん自身も「私の最大の功績はオリンピックの映像化。最大の失敗は、ヒトラーと知り合ったこと」(本紙への書面回答)と過去を悔やむ。だが、今回「水中の印象」放映が実現し、烙印は少しかすれたかに見える。そして、その跡は100歳記念の出版や報道からもうかがえる。
独MDRテレビが20日に放映する特集番組では、登山家のラインホルト・メスナーとともに今年6月、南チロルの高山をヘリコプターで訪れた探検を、論評抜きでとらえている。制作したオラフ・ヤコブス氏は「撮影前に劇薬で持病の腰痛をおさえ、入念に化粧し、照明にも注文をつけてきた」というプロ意識を素直にたたえる。
こうした“100歳の名誉回復”は、高齢者への同情や歴史の風化である以上に、自ら勝ち取ったものだ。
85歳で出版した回想録では、ヒトラーに魅せられ、芸術家として協力したことを認める一方で、政治面での関与は明確に否定した。ヒトラーの愛人説などの俗説は、50件に及ぶ訴訟でひとつずつつぶした。今や、リーフェンシュタールさん批判の急先鋒だった映画史研究家ヒルマー・ホフマン氏(ゲーテ・インスティテュート前総裁)すら、「彼女が明確な意図をもってナチスに荷担したという私の想定は、修正したい」と語る。
「年齢をとるのはかなしい。健康やスポーツ、さわやかな気分といった人生の喜びをすべてあきらめなければならない」と嘆くリーフェンシュタールさんだが、次の目標として現像ミスでお蔵入りになったアフリカの未開部族の映像(60年代撮影)を、最新技術でよみがえらせる企画を挙げた。まるで、過去との戦いで失われた自らの後半生を取り戻そうとするかのような執念の火は、まだ消えそうもない。
レニ・リーフェンシュタール 1902年ベルリン生まれ。ダンサーを振り出しに女優、映画監督に。ヒトラーの演説に感銘を受け、直接手紙を書いて面会、ナチス党大会の映画化を要請される。ベルリン五輪を「民族の祭典」「美の祭典」2部作にまとめた「オリンピア」はベネチア映画祭の最高賞が授与された。戦後は映画界から追放され、アフリカ未開部族やサンゴの写真集を出した。現在はミュンヘン郊外で40歳年下のパートナーと暮らす。過去3度、最近では91年に来日、「もう1度訪日できるなら再び京都を見たい」と言う。(読売新聞)
[8月16日21時5分更新]