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第二次大戦中 日本のスイス秘密口座 全容判明 投稿者 倉田佳典 日時 2002 年 8 月 13 日 19:46:49:

08/13 18:14 振込総額1億スイスフラン超 公定レート強制し外貨 外信46

 【ジュネーブ13日共同】第二次大戦中の一九四四年九月、中国
などで捕虜となった連合国兵士らへの救援資金の受け皿として日本
がスイス国立銀行に開設した秘密口座の全容が十三日までに、スイ
ス政府などの文書で判明した。米英オランダ三カ国が中立国スイス
の仲介で振り込んだ総額は終戦までの一年足らずに計一億千五百六
十万スイスフラン、現在の貨幣価値で約四百三十億円に上っていた
。                             
 連合国側が救援の主眼としていた中国への送金に当たり日本は、
スイス・フランから円、そして当時の中国で親日政権が発行してい
た中央儲備銀行券(中国元)への変換の際、日本に有利な「公定レ
ート」を強制的に設定。実勢レートとの差は最も懸け離れた時点で
は約三千二百倍にも達し、差額はそのまま日本の外貨資産として蓄
積されていた。                       
 一連の文書を総合すると、日本は四四年八月のスイスとの秘密合
意に基づき、横浜正金銀行(旧東京銀行の前身)名義の秘密口座「
第一特別勘定」と「第二特別勘定」を同年九月に開設。特別勘定の
責任者は、横浜正金出身の国際決済銀行(BIS)理事で、後に滋
賀銀行頭取を務めた故北村孝治郎氏だった。          
 横浜正金はこの特別勘定に入金されたスイス・フランに直接手を
付けず、日本が強制した交換レートに基づく「同額」の円を、横浜
正金東京支店に開設された在日スイス公館の口座に振り込んだ。さ
らに東京から中国への送金の際も、円と元の公定レートを強制し、
利ざやを稼いだ。                      
 スイス政府や赤十字国際委員会(ICRC)によると、終戦直前
の四五年七月の段階では元が暴落しており、一スイスフラン=三万
五千元が実際の購買力から見た妥当な水準だったが、日本が当時使
用していた公定レートは一スイスフラン=一○・八九元だった。 
 日本はこの特別勘定をスイスとの取引決済や武器調達などに使用
したほか、特別勘定の資金をスウェーデンなど中立国に移す資金退
避を何度か繰り返した。                   
 四五年八月の時点で五千八百六十八万スイスフランの残高があっ
たが、終戦とともにスイス政府が口座を凍結。その後、英国などへ
の賠償金やサンフランシスコ講和条約に基づく連合国捕虜への補償
金などで没収され、特別勘定は五六年に閉鎖された。      
(了)  020813 1813              
[2002-08-13-18:14]
08/13 18:21 秘密口座に多くのからくり 支援物資の配給は不透明 外信47

 【ジュネーブ13日共同】一九四四年九月、スイス国立銀行に開
設された横浜正金銀行名義の秘密口座「特別勘定」。連合国と日本
、スイスの利益が錯綜(さくそう)する中で誕生した口座ゆえに仕
組みは複雑で、多くのからくりが存在していた。連合国捕虜に対す
る支援物資の配給という口座開設の最大の目的も、実際にどれだけ
実施されたのか不透明だ。                  
 からくりの第一は、日本側が特別勘定に入金されたスイス・フラ
ンをそのまま残した点にある。外貨不足にあえいでいた日本は、連
合国と枢軸国の間で交換が可能な貴重なスイス・フランを蓄え、ス
イスからの武器輸入などに利用できた。            
 第二のからくりは、入金されたスイス・フランを円、そして中国
元へと換金する過程で、市場レートとは大きく懸け離れた独自の交
換レートを強制した点だ。日本は結果的に二度にわたる「利ざや稼
ぎ」により、連合国からの資金の大部分を「着服」していた。  
 特別勘定が日本―スイス間の貿易決済に使われた事実も見逃せな
い。両国の貿易は戦争中、スイスの大幅な出超だったが、外貨が底
をついた日本は代金を支払えなかった。そこで両国はひそかに入金
の一部を決済に充てることを決めた。             
 特別勘定が二つ存在するのはこのためで、両国間の決済には主に
第二特別勘定が使われた。スイスは中立国として、日本と連合国の
資金移転を仲介する一方、捕虜救済のための資金の一部を自国スイ
ス企業の輸出代金獲得に利用していたわけだ。         
 さらに日本は四五年春以降、特別勘定で温存していたスイス・フ
ランを中立国などに移していた。終戦直前の八月初旬、日本が赤十
字国際委員会(ICRC)に一千万スイスフランもの巨額な寄付を
申し出た資金の出所も、特別勘定だった。           
 英米にすれば、日本軍に捕らわれた自国捕虜救済のための資金を
日本が流用していることにほかならず、これらの資金退避や寄付の
実行に強く反発した。                    
 複雑な仕組みに加え、為替レートの利ざや稼ぎや日本とスイスの
二国間貿易の決済まで盛り込んだことにより、特別勘定は本来の目
的である連合国捕虜の救済とは別の機能が主役となってしまった。
 だが、終戦とともに凍結された特別勘定は五二年のサンフランシ
スコ講和条約に基づき、過去に前例のない「連合国捕虜への補償金
」として、ICRCが五六年に残金三千三百万スイスフランを没収
。開設から十二年の曲折を経て、ようやく資金の一部が元捕虜に渡
った。                           
(了)  020813 1820              
[2002-08-13-18:21]

08/13 17:26 故北村孝治郎氏の略歴  外信48

 北村孝治郎氏 1894年、滋賀県生まれ。1917年に東大卒
後、横浜正金銀行に入行。上海、シンガポール、ロンドン、ベルリ
ン支店などを経て第2次大戦中は国際決済銀行(BIS)理事とし
て出向。欧州における日本資金の責任者となった。45年7月、ア
レン・ダレス米戦略事務局(OSS)欧州支局長らが関与した和平
工作も手掛けた。57年、滋賀銀行頭取に就任。69年死去。(ジ
ュネーブ共同)                       
(了)  020813 1725              
[2002-08-13-17:26]

08/13 17:23 横浜正金銀行とは  外信49


 横浜正金銀行 1880(明治13)年、貿易取引や為替の決済
業務を目的として設立された半官半民の特殊銀行。当時は対外金融
の中核で、第2次大戦中には完全に国家機関化していた。終戦後、
連合国軍総司令部(GHQ)の公職追放令により役員の多くが追放
されたが、横浜正金自体は普通銀行の東京銀行(現・東京三菱銀行
)に改組することで閉鎖を免れた。(ジュネーブ共同)     
(了)  020813 1722              
[2002-08-13-17:23]

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