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キリシタン宣教師の野望 投稿者 てんさい(い) 日時 2002 年 7 月 28 日 03:12:25:

(回答先: 鉄砲と奴隷貿易と鎖国 投稿者 てんさい(い) 日時 2002 年 7 月 28 日 02:22:17)

キリシタン宣教師達は、日本やシナをスペイン
の植民地とすることを、神への奉仕と考えた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog154.html

-----------------------------------------H12.09.03 27,253部

■1.日本布教は最も重要な事業のひとつ■

   イエズス会東インド巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノ
  は日本に3年近く滞在した後、1582年12月14日付けでマカ
  オからフィリッピン総督フランシスコ・デ・サンデに次のよう
  な手紙を出した。
  
     私は閣下に対し、霊魂の改宗に関しては、日本布教は、
    神の教会の中で最も重要な事業のひとつである旨、断言す
    ることができる。何故なら、国民は非常に高貴且つ有能に
    して、理性によく従うからである。
    
     尤も、日本は何らかの征服事業を企てる対象としては不
    向きである。何故なら、日本は、私がこれまで見てきた中
    で、最も国土が不毛且つ貧しい故に、求めるべきものは何
    もなく、また国民は非常に勇敢で、しかも絶えず軍事訓練
    を積んでいるので、征服が可能な国土ではないからである。
    
     しかしながら、シナにおいて陛下が行いたいと思ってい
    ることのために、日本は時とともに、非常に益することに
    なるだろう。それ故日本の地を極めて重視する必要がある。
    [1,p83]

   「シナにおいて陛下が行いたいと思っていること」とは、ス
  ペイン国王によるシナの植民地化である。日本は豊かでなく、
  強すぎるので征服の対象としては不向きだが、その武力はシナ
  征服に使えるから、キリスト教の日本布教を重視する必要があ
  る、というのである。

■2.シナ征服の6つの利益■

   スペインの勢力はアメリカ大陸を経て、16世紀半ばには太
  平洋を横断してフィリピンに達し、そこを足場にしてシナを始
  めとする極東各地に対し、積極的な貿易と布教を行っていた。

   宣教師達はその後もスペイン国王にシナ征服の献策を続ける。
  1570年から81年まで、10年以上も日本に留まってイエズス会
  日本布教長を努めたフランシスコ・カブラルは、1584年6月2
  7日付けで、スペイン国王あてに、シナ征服には次の6つの利
  益があると説いている。
  
   第1に、シナ人全体をキリスト教徒に改宗させる事は、主へ
  の大きな奉仕であり、第2にそれによって全世界的に陛下の名
  誉が高揚される。第3に、シナとの自由な貿易により王国に多
  額の利益がもたらされ、第4にその関税により王室への莫大な
  収入をあげることができる。第5に、シナの厖大な財宝を手に
  入れる事ができ、第6にそれを用いて、すべての敵をうち破り
  短期間で世界の帝王となることができよう、と。
  
   このようにスペイン帝国主義と、イエズス会の布教活動とは、
  車の両輪として聖俗両面での世界征服をめざしていた。
  
■3.日本人キリスト教徒の「ご奉公」■

   さらにカブラルはシナ人が逸楽にふけり、臆病であるので征
  服は容易であると述べ、その例証に、13人の日本人がマカオ
  に渡来した時に、2〜3千人のシナ人に包囲されたが、その囲
  みを破り、シナ人の船を奪って脱出した事件があり、その際に
  多数のシナ人が殺されたが、日本人は一人も殺されなかった事
  件をあげている。
  
     私の考えでは、この政府事業を行うのに、最初は7千乃
    至8千、多くても1万人の軍勢と適当な規模の艦隊で十分
    であろう。・・・日本に駐在しているイエズス会のパード
    レ(神父)達が容易に2〜3千人の日本人キリスト教徒を
    送ることができるだろう。彼等は打ち続く戦争に従軍して
    いるので、陸、海の戦闘に大変勇敢な兵隊であり、月に1
    エスクード半または2エスクードの給料で、ンンとしてこ
    の征服事業に馳せ参じ、陛下にご奉公するであろう。
    [1,p95]
    
   日本に10年以上も滞在したイエズス会日本布教長は、日本
  人を傭兵の如くに見ていたのである。
  
■4.人類の救済者■

     宣教師は教会のほか、学校や病院、孤児院を立てた。地
    球が球形であることを伝え、一夫一妻制を守りるよう説い
    た。これらにより、キリスト教の信者が西日本を中心に増
    えた。この当時、キリスト教とその信者をキリシタンとい
    った。[2,p117]

   中学歴史教科書の一節である。同じページにはザビエルの肖
  像画があり、そこに記されたIHSという文字について、「イ
  エズス会の標識で『耶蘇、人類の救済者』の略字」と説明され
  る。キリシタン宣教師達は、まさに未開の民に科学と道徳を教
  え、社会事業を進める「救済者」として描かれている。
  
   数ページ後には家康によるキリシタン弾圧が次のように描か
  れている。
  
     家康は貿易のために、はじめキリシタンを黙認していた
    が、やがて禁教の方針をとった。信者に信仰を捨てるよう
    に命じ、従わない者は死刑にした。[1,p130]

   さらに家光が、「キリシタンを密告した者に賞金を出すなど
  して、キリシタンを完全になくさせようとした」事を述べ、厳
  しいキリシタン取り締まりに島原・天草で約4万人の農民が一
  揆を起こして、「全滅」した事を述べている。
  
   この教科書を読んだ中学生は、「救済者」達に対するなんと
  野蛮な宗教弾圧かと思うであろう。しかし、なぜ家康は黙認か
  ら禁教へと方針を変えたのか、については一言も説明がない。
  秀吉も同様に、初めのうちはキリシタンを奨励していたのに、
  急に宣教師追放令を出している。いずれもキリシタン勢力から
  国の独立を守ろうとする秀吉や家康の防衛政策なのである。
  
■5.日本準管区長コエリョの秀吉への申し出■

   キリシタン宣教師の中で、イエズス会日本準管区長ガスパ
  ル・コエリョは、最も行動的であった。当時の日本は準管区で
  あったので、コエリョはイエズス会の日本での活動の最高責任
  者にあたる。
  
   天正13(1585)年、コエリョは当時キリシタンに好意的であ
  った豊臣秀吉に会い、九州平定を勧めた。その際に、大友宗麟、
  有馬晴信などのキリシタン大名を全員結束させて、秀吉に味方
  させようと約束した。さらに秀吉が「日本を平定した後は、シ
  ナに渡るつもりだ」と述べると、その時には2艘の船を提供し
  よう、と申し出た。当時、日本には外航用の大艦を作る技術は
  なかったのである。
  
   秀吉は、表面はコエリョの申し出に満足したように見せかけ
  ながらも、イエズス会がそれほどの力を持っているなら、メキ
  シコやフィリピンのように、我が国を侵略する野望を持ってい
  るのではないかと疑い始めた。
  
■6.コエリョの画策とバテレン追放令■

   翌々年、天正15年(1587)に秀吉が九州平定のために博多に
  下ると、コエリョは自ら作らせた平底の軍艦に乗って、大提督
  のような格好をして出迎えた。日本にはまったくない軍艦なの
  で、秀吉の軍をおおいに驚かせたという。
  
   その前に秀吉は九州を一巡し、キリシタン大名によって無数
  の神社やお寺が焼かれているのを見て激怒していた。秀吉は軍
  事力を誇示するコエリョに、キリシタンの野望が事実であると
  確信し、その日のうちに宣教師追放令を出した。
  
   コエリョはただちに、有馬晴信のもとに走り、キリシタン大
  名達を結集して秀吉に敵対するよう働きかけた。そして自分は
  金と武器弾薬を提供すると約束し、軍需品を準備した。しかし、
  この企ては有馬晴信が応じずに実現されなかった。
  
   コエリョは次の策として、2,3百人のスペイン兵の派兵が
  あれば、要塞を築いて、秀吉の武力から教界を守れるとフィリ
  ピンに要請したが、その能力がないと断られた。コエリョの集
  めた武器弾薬は秘密裏に売却され、これらの企ては秀吉に知ら
  れずに済んだ。[1,p109-114]

■7.秀吉のキリシタンとの対決■

   秀吉の朝鮮出兵の動機については諸説あるが、最近では、ス
  ペインやポルトガルのシナ征服への対抗策であったという説が
  出されている。スペインがメキシコやフィリピンのように明を
  征服したら、その武力と大陸の経済力が結びついて、次は元寇
  の時を上回る強力な大艦隊で日本を侵略してくるだろう。
  
   そこで、はじめはコエリョの提案のように、スペインに船を
  出させ、共同で明を征服して機先を制しよう、と考えた。しか
  し、コエリョが逆に秀吉を恫喝するような態度に出たので、独
  力での大陸征服に乗り出した。その際、シナ海を一気に渡る大
  船がないので、朝鮮半島経由で行かざるをえなかったのである。
  
   文禄3(1593)年、朝鮮出兵中の秀吉は、マニラ総督府あてに
  手紙を送り、日本軍が「シナに至ればルソンはすぐ近く予の指
  下にある」と脅している。[3,p372]
  
   慶長2(1597)年、秀吉は追放令に従わずに京都で布教活動を
  行っていたフランシスコ会の宣教師と日本人信徒26名をわざ
  わざ長崎に連れて行って処刑した。これはキリシタン勢力に対
  するデモンストレーションであった。一方、イエズス会とマニ
  ラ総督府も、すかさずこの26人を聖人にする、という対抗手
  段をとった。丁々発止の外交戦である。

■8.天草をスペイン艦隊の基地に■

   全国統一をほぼ完成した秀吉との対立が決定的になると、キ
  リシタン勢力の中では、布教を成功させるためには軍事力に頼
  るべきだという意見が強く訴えられるようになった。1590年か
  ら1605年頃まで、15年間も日本にいたペドロ・デ・ラ・クル
  スは、1599年2月25日付けで次のような手紙を、イエズス会
  総会長に出している。要点のみを記すと、
  
     日本人は海軍力が弱く、兵器が不足している。そこでも
    しも国王陛下が決意されるなら、わが軍は大挙してこの国
    を襲うことが出来よう。この地は島国なので、主としてそ
    の内の一島、即ち下(JOG注:九州のこと)又は四国を包
    囲することは容易であろう。そして敵対する者に対して海
    上を制して行動の自由を奪い、さらに塩田その他日本人の
    生存を不可能にするようなものを奪うことも出来るであろ
    う。・・・
    
     このような軍隊を送る以前に、誰かキリスト教の領主と
    協定を結び、その領海内の港を艦隊の基地に使用出来るよ
    うにする。このためには、天草島、即ち志岐が非常に適し
    ている。なぜならその島は小さく、軽快な船でそこを取り
    囲んで守るのが容易であり、また艦隊の航海にとって格好
    な位置にある。・・・
    
     (日本国内に防備を固めたスペイン人の都市を建設する
    ことの利点について)日本人は、教俗(教会と政治と)共
    にキリスト教的な統治を経験することになる。・・・多く
    の日本の貴人はスペイン人と生活を共にし、子弟をスペイ
    ン人の間で育てることになるだろう。・・・
    
     スペイン人はその征服事業、殊に機会あり次第敢行すべ
    きシナ征服のために、非常にそれに向いた兵隊を安価に日
    本から調達することが出来る。[1,p147-150]
    
   キリシタン勢力が武力をもって、アジアの港を手に入れ、そ
  こを拠点にして、通商と布教、そしてさらなる征服を進める、
  というのは、すでにポルトガルがゴア、マラッカ、マカオで進
  めてきた常套手段であった。
  
   また大村純忠は軍資金調達のために、長崎の領地をイエズス
  会に寄進しており、ここにスペインの艦隊が入るだけでクルス
  の計画は実現する。秀吉はこの前年に亡くなっており、キリシ
  タンとの戦いは、徳川家康に引き継がれた。

■9.国家の独立を守る戦い■

   家康が何よりも恐れていたのは、秀吉の遺児秀頼が大のキリ
  シタンびいきで、大阪城にこもって、スペインの支援を受けて
  徳川と戦うという事態であった。当時の大阪城内には、宣教師
  までいた。大阪攻めに先立って、家康はキリシタン禁令を出し、
  キリシタン大名の中心人物の高山右近をフィリピンに追放して
  いる。
  
   1624年には江戸幕府はスペイン人の渡航を禁じ、さらに1637
  〜38年のキリシタン勢力による島原の乱をようやく平定した翌
  39年に、ポルトガル人の渡航を禁じた。これは鎖国と言うより、
  朝鮮やオランダとの通商はその後も続けられたので、正確には
  キリシタン勢力との絶縁と言うべきである。[4]
  
   キリシタン宣教師達にとっては、学校や病院、孤児院を立て
  ることと、日本やシナを軍事征服し、神社仏閣を破壊して唯一
  絶対のキリスト教を広めることは、ともに「人類の救済者」
  としての疑いのない「善行」であった。その独善性を見破った
  秀吉や家康の反キリシタン政策は、国家の独立を守る戦いだっ
  た。これが成功したからこそ、我が国はメキシコやフィリピン
  のように、スペインの植民地とならずに済んだのである。
  
■リンク〜近代世界システムと日本■
a. JOG(003) 悲しいメキシコ人
  メキシコ人は固有の文化・文明そのものをスペイン人に破壊さ
 れてしまった。日本人も戦国時代に同じ運命に陥る危険があった。

b. JOG(090) 戦争の海の近代世界システム
  海洋アジアの物産にあこがれて、ヨーロッパと日本に近代文明
 が勃興した。

c. JOG(024) 平和と環境保全のモデル社会:江戸
  鉄砲を捨てた日本人は鎖国の中で高度のリサイクル社会の建設
 に乗り出した。

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
1. 「キリシタン時代の研究」★、高瀬弘一郎、岩波書店、S52.9
2. 「中学社会 歴史分野」、日本書籍、H9.1
3. 「国民の歴史」★★★、西尾幹二、産経新聞社、H11.11
4. 「歴史に学ぶ」★★★、村松剛、「日本への回帰 第17集」
  国民文化研究会編、S57.3

徳川の天才的才能にあらためて感動

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